平癒の願《がん》がけをするのだという。聖母とキリストを庇った聖木だから今も霊験あらたかだと信じているらしい。
その話で私はウセルトセン一世のオベリスクの下で包囲されたきたない年若な親たちの群を思い出した。どれを見ても皆アラビア人らしく、オベリスクを見てしまって私たちが車に乗ると、それまでは筋骨逞ましいサイドが赤いタルブシュ(トルコ帽)をかぶって鞭を持って傍に付いていたので寄りつかなかった彼等が、用心棒も一所に車に入り車掌台の隣りに掛けたのを見ると、忽ちどっとたかって来て、バクシシュ、バクシシュと叫びながら手をさし出した。マリアのように、片手で赤ん坊を胸に抱えながら、中には十三四の小娘のようなのもあった。あれもお母さんかと聞いたら、そうだといってサイドは苦笑していた。皆きたないなり[#「なり」に傍点]をして、跣足だった。子供たちも交っていたが、子供たちと母親たちの区別は見わけがつかないほどだった。あの憐むべき母親たちが此の木の枝にきれっぱし[#「きれっぱし」に傍点]を結びつけて祈るところを想像すると、人間の迷信は何千年もそういった習慣から脱しきれないものと見えて、ひとごとではなく思われ
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