興亡にも触れているが、その意識の中にはローマがギリシア文化の炬火を受け継いだことが思い浮かべられていたのだろう。しかし、ギリシアの前にエジプトは長い間文化の炬火を振りかざして駆けていたのである。
エジプトが古代に於いてその輝かしい姿を現わしていた時、エジプトと一緒に駆けていた仲間には、バビロニアがあり、アッシュリアがあり、ハティがあり、クレタがあり、その他、地中海沿岸の多くの群小競走者があった。けれどもエジプトの大跨な快足に及ぶ者はなかった。エジプトは駆けるだけ駆けて、その炬火をギリシアの手に渡した。その後、炬火は次々に西洋諸民族の手から手へと渡された。(世界のこちら側では、それとは別にまた炬火競走が行われていた。印度・支那・日本が選ばれた走者であった。今日では世界が皆一緒になって一つの大きな新しい炬火競走が始まろうとしている。)
エジプトの古代のすばらしい優越の姿を思うと、今日のエジプト人のみじめな姿があまりにもひどい対照をなすので、旅行者は多少の感懐なしに見ることはできない。庇を貸して母屋を取られたという諺は、エジプトほど適切に当て嵌まる国は見出せない。居間にも座敷にも他所者《
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