メリカ人も相当に定住している。そのうち、ギリシア人についていえば、彼等は商人としてはエジプトに於いて成功してるほど他国では成功しないそうだが、移民の大部分は下層生活者で、ただ数の多いのが特長である。数は少いけれどもエジプトで重要な仕事をしてるのはイギリス人とフランス人である。
 しかし、だからといって、カイロをイギリス人の町ともフランス人の町ともいうことはできない。カイロは何といっても上に述べた十または九つの人種(フェラヒンだけは地方居住者だから取り除けにして)の寄合世帯の町という外はない。雑多の者が集まっててんやわんやの生活様式を作り出してる不思議な町である。
 カイロについての観察はまたそのままエジプトについても適用ができる。

    五

 或る民族は栄え、或る民族は滅び、長い目で見るとわずかの間に時勢が転変する。そのことをルクレティウスはギリシアの炬火競走に譬えて、先の走者が後の走者に生命の炬火を渡すようだといった。彼は物質の発生分子はいかなる運動に依って別の物を産み出し、またすでに生れてる物を解消させるかを論じて、事物の更新に説き及ぼし、延いて人間の仕事の集積としての国家の
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