て食卓のサーヴィスをしてる姿が見られる。私たちが、アスアンでフィレの島へ小舟を雇った時、ヌビアの子供が四人で橈を漕ぎ、年とった親爺が舵を引いた。子供には可愛らしさもあったが、親爺の方は干し固めたように痩せしなび、真っ黒な額に白髪が乱れかかり、目がぎょろりとしてるところは、葬頭河《そうずが》の奪衣婆を男にしたようで、いかにも物凄く、広々とした江上に漕ぎ出した時はさすがに少し気味がわるかった。その実、物凄さは見かけ倒しで、恐らく気質は素樸なのだろうけれども、見た目にはたしかにバラーブラの印象を与えられた。ヌビア人は種族的に皆回教徒であるが、(一〇)スーダン人もそうである。スーダンはヌビアよりも更に上流の山地で、其処から昔奴隷としてエジプトに売られた者の子孫が多く、また近頃流れ込んだ者も少くない。家僕としてはヌビア人以上に使いよいというのが定評である。
以上が今日エジプトを形成してる人間の概観である。その外にエジプトに定住してるヨーロッパ人も相当の数があり、一番多いのはギリシア人で、次がイタリア人、その他イギリス人、フランス人、ロシア人、ドイツ人を初め、ヨーロッパの大がいの国人が定住し、ア
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