ビア民族博物館・等)に入ったり、モスクを訪問したり、哈利発《ハリハ》の墓やマメリュクスの墓を見たり、コプトの教会へ行ったり、サラディンの城に上ったり、ローマ時代の城壁を横ぎったり、水道の遺物を眺めたり、また大通を歩いて見たり、裏町を抜けて見たり、公園を散歩したり、動物園を訪ねたり、カフェで休んだり、夜店をひやかしたりして、あらゆる角度からカイロの(同時にエジプトの)概念を作り上げようと試みた。
 その場合、いつも突きあたって解決に苦しんだ問題は、一体、カイロは(或いはエジプトは)誰の町であるか?(また誰の国であるか?)ということだった。
 或る都市に幾ら外国人が多く居住していても、例えばロンドンならイギリス人の町であり、パリならフランス人の町であり、ローマならイタリア人の町であり、ベルリンならドイツ人の町であることに問題はないが、そういった意味で、カイロは何人《なにじん》の町だといったらよいのか? エジプト人の町だといえるなら簡単だが、それでは、エジプト人とはどんな国民かと考えて見ると、また厄介なことになる。
 文化的にエジプト人というと古代王朝時代のエジプト人のことで、彼等の功績は古
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