モスクを建立し、都市に近代的設備を施して今日のカイロを造り上げた。カイロ Cairo はカヒラのヨーロッパ語化である。町の名がヨーロッパ化したと共に、都市その物の実質もヨーロッパ化したのは、フランスとイギリスの勢力がエジプトを動かすようになった結果で、それがカイロの現状である。
そんな風にして、カイロは五千五百年間に複雑な変遷を経験したのであるが、それを大まかに区劃すると七通りの変遷をしたことになる。初めは(一)古代エジプト王朝発祥の地としてメムフィスの名で長い間知られ、次に、エジプト[#「エジプト」は底本では「エジプと」]王朝没落後(二)バビロンの名でローマ帝政時代の遺跡を留め、初期キリスト教の流布に貢献するところが多かった。次に中世に入っては(三)アラビア人に依って回教化され、フスタトと呼ばれて今の旧カイロの部落を残し、更に(四)トルコ人の治下でマスルと呼ばれて今のマスル・エル・アティカの区域を残し、次に(五)ギリシア系回教徒に依って今日のカイロの基礎が置かれ、名称もカヒラと改められ、次に近世に入って(六)カヒラはカイロとなり、中世以来の回教都市はその上に国際都市的色彩を加えた。
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