その時アラビアの侵入軍は破壊したバビロン城砦の付近に陣営を張ったまま長駆してアレクサンドリアを攻略し、帰って来てその陣営《フスタト》の位置に新都市を経営した。それがエジプトに於ける最初のアラビア都市で、後のカイロは其処から発展したフスタトである。新しい宮殿やモスクが次々に建てられた。
その後トルコ人がエジプトに勢力を得て、フスタトの北部(即ち今のカイロ市内の区域)に新都市を拡げ、マスル・エル・フスタト或いは略してマスル(またミスル)と呼んだ。現在イブン・トゥルンのモスクを囲む一廓がその頃の遺跡として残っている。名称も今なおマスル・エル・アティカ(旧マスル)と呼ばれている。マスル(ミスル)はエジプトを意味するアラビア語である。
やがてトルコの勢力はまたアラビア人回教徒のために駆逐され、九世紀の末葉にはアハメド・イブン・トゥルンがマスルを拡張し、十世紀に入っては更にギリシア系の哈利発《ハリハ》ムイズの代官ガウハル将軍が宏大な城廓を築いて市街を整頓し、モスクを建て列ね、町の名をもマスル・エル・カヒラと改めた。後に回教大学に改変されたガミ・エル・アザールもその頃建てられた。エル・カヒラ 〔
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