の町と化し、円屋根《キューポラ》と尖塔《ミナレット》を持った輪奐の美を誇るモスクが簇生しているが、例えば、モハメド・アリのモスクにしても、スルタン・ハサンのモスクにしても、エル・アザールのモスクにしても、イブン・トゥルンのモスクにしても、エル・リファイエのモスク(俗称|戴冠《コロネイション》モスク)にしても、それだけの様式として見ればいずれも相当に高く評価されるべきものではあるけれども、諸君がそれを見た後で、若しニルの上流地方へ行き、ルクソル、カルナク、エドフ、デンデラなどの古代王朝時代の壮大華麗の殿堂の遺物を見たならば、それこそ日光から奈良へ行ったような感じがするに相違ない。古代王朝の遺物は、大きさに於いても、美しさに於いても、殊に芸術的品格の高さに於いては、殆んど比較を絶するものであるから。
 同じことは芸術の他の部門についてもいえる。例えば、墓にしても(墓もエジプトでは芸術である)、ルクソルの対岸の岩山を抉り抜いて造った古代の王と王妃の無数の墓窟の構造と装飾は、カイロ東郊の哈利発《ハリハ》の墓やマメリュクスの墓などの比較になるものではない。
 その他、古代王朝の最大の遺物なるピラミッド、スフィンクス、オベリスク等のすばらしさに至っては、今更いうまでもなく、到底中世のイズラム文化の造り出した記念物などの及ぶところではなく、強いてその対比を求めれば、わずかにただ古代ギリシアの芸術的遺物を挙げ得るのみである。
 その古代エジプト王朝時代の遺物がメムフィスの地に殆んど全く見られなくなってるのは返す返すも惜しむべきである。最古の「白壁」の王城とか、初期のプタ※[#小書き片仮名ハ、1−6−83]殿堂とか、そういったものはもとより保存を望むべくもないが、ルクソル付近の実例からいっても、第十九王朝のラメセス二世の遺物ぐらいは、度々の兵火さえなかったら、今も見られる筈であったと思う。ラメセス二世はアジア攻略の便利のためにテバイから三角州《デルタ》に都を移した。それは今のタニス付近といわれるが、メムフィスにも大きな殿堂が建てられた。その殿堂の前に立っていたと推定されるラメセス自身の花崗岩の巨像が、メムフィスの棕櫚の木の茂みの中に仰向けに倒れている。頭から王冠が折れ飛んでるのもあわれであれば、穢ない子供たちがその上に攀じ登って遊んでるのもあわれである。
 メムフィスにはラメセス二世
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