共演しろ、その後はまた仲違をしたくば勝手にしろ、といつた。大大夫は仕方なく承諾した。当日まで二人は申し合せなどはもちろんすることなく、いよいよ幕を出る間際になつて、宮王大夫は大大夫に向ひ、どちらが先に出るのかと聞いた。大大夫は宮王大夫に先に出ろといつた。先に出る方がツレの役である。やがて二人は舞台に出ても、日頃の鬱憤が晴れないで、互ひに協調しなければならぬことは知つてゐながらもそれがしたくなく、互ひにむきになつて対抗しながらも併し不調和になつてはいけないといふことは知りきつてゐた。その真剣な競演はクセになつて絶頂に達した。「神の宮滝」の地で、一人が正面へサシ込むと、他の一人はわざと下をサシ廻し、「西河の滝」で、一人が下を見ると、他の一人は上を見る。と、いつたやうな風で、互ひに即くまい即くまいと努めながら、それでゐて、要所要所は一糸乱れず呼吸が合つてゐたので、秀吉は期待した以上の面白い能を見ることができて満足したといふのである。
此の話はどの程度まで事実であるか知らないが、昔の能の演出の一つの情景を伝へてゐる点で興味がある。能に限らず、すべて昔の日本の技芸は各人が真剣になつて最善をつく
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