、音声を彩るべし」と教へ、アヒの狂言に対しても、「笑の中に楽を含む」といふことを記憶して、シテの調子をこはさない程度に自然の滑稽味を作り出すやうにすべしと教へてゐる。要するに、すべての役役の人は「一座のシテの感」を基準として行動すべきことを示したもので、その掟は長く守られてゐた。
 しかし、それには一座の棟梁たる者は他の誰よりもすぐれた技芸者たることが必要条件であつた。また、事実、幕府時代の能の制度は(多少の例外はあつても)概して一座の棟梁を第一の技芸者として作り上げ得るやうにできてゐた。けれども今日は必ずしもさうでなく、各流派の実際について見ても、家元自身が第一の技芸者であるものは一人か二人に過ぎない。殊にまた、ワキ・アヒ・囃子方に至つては、昔の座附の制度は滅びてしまつて相互の間に遠慮もあり、譲り合ひもあり、少くとも明治時代の統制さへも期待することはできなくなつてゐる。
 昔の能は統制の中にも或る程度の自由競争があつて、シテとワキと、シテと囃子方と、囃子方と地謡と、真剣に鎬を削つて、負けず劣らず張り合ひながらも、全体としての調和を皆考へてゐたといはれる。そこに能の面白味があつて、表面
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