して発見することができないのは、能界の混沌状態を如実に暴露してゐるものと言はなければならぬ。
昔はどうであつたかといふと、一座の棟梁(大夫)といふ者が実力を持つてゐて、完全な統制が演出の上に及んでゐた。永享二年の奥書のある世阿弥の「習道書」を見てもわかるやうに、能は、もろもろの役員――シテ・ワキ・ツレ・アヒ・囃子方・地謡――の演戯が完全な一つの調和を保つてこそ初めて「舞歌平頭の成就」は生ずるのであるから、各員思ひ思ひの表現をすることは許されなかつた。誰が中心になつてゐたかといふと、もちろん棟梁のシテが中心であり、標準であつて、その他の役を担当するすべてを世阿弥は連人《つれにん》と呼んでゐるが、その連人たる者はすべて「一座棟梁の習道を本として、その教へのままに芸曲をなすべし」と規定されてゐた。即ち棟梁のシテの指導に従つて、その監督の下に演戯せねばならないのであつた。例へば、ワキに対しては、「棟梁の掟の程拍子を中心に案得して倶行同心の曲風をなすべし」と教へ、鼓方に対しては、「何をも一心のシテに任せ」「シテの心を受けて」事をなすべしと教へ、笛方に対しては、「シテの音声を聞き合せて調感をなし
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