Bいやに薄暗い長い通路を通った。ルー・ド・パリ(パリ通《どおり》)というのだそうだ。誰が付けた名前だか知らないが、しゃれた付け方をしたものだ。一七九二ー三年の囚人たちには、此処はパリの外の世界だっただろうから、花やかなパリがなつかしまれたものだろう。その突きあたりに、狭い石畳の廊下があって、その先に地下牢の鉄の格子の扉がある。しかし、今は締め切って其処からは通さない。革命の時の囚人は大がいその格子の扉からぶち込まれたのだというが、われわれはフランスの貴族でもなければ、ジロンダンでもないから、通さないのだろう。
それから右へ廻ったのだったか左へ廻ったのだったか覚えないが、クール・デ・ファム(女の中庭)というのに出た。地下牢の中での名所の一つで、四辺の建物に囲まれた谷底のような中庭になって居り、片隅に噴水があり、洗盤がある。革命裁判の犠牲となってぶち込まれた貴婦人たちは此の小さい中庭を散歩することを許されていたが、中には洗盤で洗濯をした者もあったという。その婦人たちの中には、王妹マダム・エリザベト、ノアイユ公爵夫人、マダム・ローラン、セシル・ルノー、マダム・ドュ・バリ、等、等、いずれも昨
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