るかも知れないが、それは直接の原因でない一つの出来事を簡単に一つの結果に結びつけようとする粗雑な考え方で、正当な判断であるかどうかは問題である。私が愉快だといったのは、それに依って示されたフランス人の芸術に対する理解が低級でないことについての印象である。フランスを打ち負かしたドイツ人といえども、芸術に対する理解は低級ではない筈だと思う。戦争の直前ハイデルベルヒに行ったら、あの美しい城内の広場でシェイクスピアの『夏至《げし》の宵祭の夢』を野外劇として演じ、特にイギリス・アメリカの訪問者を歓迎するというびら[#「びら」に傍点]を撒いていた。
二
ここで紹介しようと思うパリの地下牢なるものは、その裁判所の地下室のことで、呼び名はコンシエルジュリ(守衛所)で通っている。というのは、昔議会がここで開かれていた頃、その地下室は守衛《コンシエルジュ》の宿泊所になっていたからの来歴だそうである。それがロンドン塔と並んで有名になったのは、革命の時、牢獄として使用され、殊にルイ十六世の王妃マリ・アントワネットが幽閉されて以来のことである。パリの町には到る所に革命の記念物があるが、この地
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