泣^遊びには目がなかった。尤も、母親マリア・テレザの目のヴィーンから光っていた間は、それでも遠慮がちであったが、マリア・テレザが死んで後は、世界に怖い者がなくなり、天下晴れて大っぴらの道楽者になった。しかし十四の時にオーストリアから輿入をして、華やかな贅沢なフランス宮廷の生活に慣れていたので、趣味だけはよく磨かれたと見え、ヴェルサイユ宮殿の後苑プティ・トリアノン(ルイ十五世がマダム・バリのために造った後苑)を殊に好み、そこにルイ十六世は彼女のためにイギリス風の設計をしてやり、日本の茶室を思わせるような小村を造り、珍らしい東洋の花木を植え、宮廷婦人たちがルッソーの『村の占卜者《うらないしゃ》』の影響を受けて貴族的牧歌趣味をひけらかしていた仲間に加わったりもしていたといわれる。私はそこを訪問した時、小さい流れには水車が廻っていて、池のほとりに菖蒲が咲いていたり、柴垣が繞らされてあったりする庭のたたずまいを眺めて、日本に帰ったような気がしたが、マリ・アントワネット[#「マリ・アントワネット」は底本では「アリ・アントワネット」]を中心とする宮廷婦人の一群がその中を動きまわっていた昔を想像して、
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