Gルジュリへ運ばれ、初めはほかの部屋に入れられたが、謂わゆるカーネイション陰謀の事件があって後、九月の初め頃、この部屋に移され、十月十六日の明け方までいた。ルイ十六世は、その年の一月二十一日に「庶人ルイ・カペ」となってコンコルド広場の露と消え、それ以来、マリ・アントワネットは「未亡人カペ」として待遇されていたが、それでも、彼女の此の地下牢で掛けていた肱掛椅子を見ると、赤紫のびろうど[#「びろうど」に傍点]を張った牢獄にはふさわしくないもので、それが今はその部屋から二つ目の礼拝堂に、彼女の用いていた小さい十字架やその他の遺品と共に、ガラス・ケイスの中に保存されてある。礼拝堂はマリ・アントワネット小博物館といったようなものになっている。
その礼拝堂兼小博物館になっている稍※[#二の字点、1−2−22]広い部屋はジロンダンの部屋と呼ばれ、前国民議会議長ヴェルニョー以下二十二名、嘗つては革命に狂奔した連中も、時非にして革命裁判に掛けられ、此処とリュクサンブールの牢獄に分けて収容された。その連中がぶち込まれた時は、婦人たちとはちがって喧喧囂囂の声が絶えなかったという。その部屋とマリ・アントワネ
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