特殊性とか政治的背景とか市民生活の状態とかいったようなものが容易に捉めるものではない。それが捉めなかったら見物の意味は殆んどなくなってしまう。それは一例だが、大きくいえばローマ全体が一つの大きな博物館のようなもので、どこへ行っても、年代史的に、考古学的に、文化史的に、美術史的に、理解と鑑賞を必要とするものが、複雑多様に包蔵されてある。それ等を見物して一々秩序正しく記憶の薬味箪笥にしまい込むためには、並大抵の努力では追っ付かない。第一、訪問の度数を重ねなければならない。そうして親しみなじむことが肝腎である。その前に十分の準備をして概念的に予備知識を貯えて置くことはもちろん必要であり、それを後で修正したり補足したりして確実な知識に作り上げることも怠ってはならない。それほど、ローマは見物の対象としては内容豊富で複雑だから、ローマについて思い出を書いて見ようとしても、当時のノートをめくって見るだけでも億劫なくらいである。
此処ではパラティーノについて書いて見よう。
二
フォーロ・ロマーノを訪問した人は、ヴェスタの殿堂とかヤーヌスの殿堂とか、サトゥールヌスの殿堂とか、バジリカ・ジ
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