は火葬の習慣を持っていた。ところが更に七百年ほど経過すると、鉄器で武装した新しい民族がアルプスを越えて南下し、初めはポーの流域に集結したが、次第に南進して、ウンブリアからアペニンを越えてテベレの東方一帯の地に定住した。エトルスクスもしくはラゼナと呼ばれる民族で、もとはリュディアから出て、ペラスギと呼ばれるものと同種族だと認められている。その植民地域が謂わゆるエトルリアで、ローマはその最南端になっていた。最後にローマに現れたのは紀元前八世紀の中頃で、それまでは小さい部落が到る所の丘陵に割拠して、まだ政治的集結を成していなかった。
伝説では、パラティーノを本拠としていたロムルスの一党が、或る日、近隣の丘陵を襲って、サビーニ(サビヌス)族の女たちを奪って来たのが事の始まりで、それから付近の丘陵の併合となった。サビーニ族というのはイタリアの中部地方に古代から定住していた種族で、それが南下してクィリナーレ、ヴィミナーレ等の山に居住していた。その時、今のフォーロ・ロマーノの谷は恐ろしい女の叫び声と接吻の音で充たされたといわれる。
史的に考えると、ロムルスの種族はまずパラティーノの山の聚落を統一し、つづいて近隣の山々を併合したのである。パラティーノは、地理的にいうと、三つの部分に分れていた。パラティウム(西南部)とジェルマルス(北部)とヴェリア(北東部)。此の三部落を統一して、凝灰岩の城壁を繞らし(その城壁の一部は今も残っていて見られる)、一つの町を造り上げた。ローマ・クァドラタ(四角のローマ)と呼ばれた。山の上は今でも大体に於いて方形である。
パラティーノの上のロムルスの町は、まず北のカピトリーノとクィリナーレを併せ、次に東南のツェリオを、つづいて南のアヴェンティーノを、最後に東のエスクィリーノとヴィミナーレを併せて一大都市となった時、種族的にいえば、ラテン族とサビーニ族とエトルスクス族の結合ができたわけである。ロムルスの最初の発足から七つの山の結合の成立までどのくらいの年月が費されたかは、年代史的には正確にはわからない。けれども、最後にエスクィリーノとヴィミナーレの二つの山を併せて、七つの山の周囲に大規模の城廓を築いたのは、ロムルスから六番目の王セルヴィウス・トゥリウスだったということは明かである。彼はタルクィニィ家(エトルスクス族)二番目の王で、城廓以外に、大運河を開
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