依ると、グローブ座の近くに店を持っていて生前詩人の顔をよく見知っていたオランダの石工ヤンセンという男が、詩人の女婿ドクター・ジョン・ホールの依頼を受けて彫った物だという。片手で鵝ペンを持ち、片手で紙を押え、顎鬚をきちんと刈り込んで、いかにも幸福そうに顔を伸ばした相貌で、スコットやサー・シドニ・リーには評判がわるいが、(私自身もあまり感心しないが)、しかし、詩人の時代にできた二つきりの肖像の一つである。
内陣の西の隅のガラス箱に三百年前の教区登記簿が保存されてあり、係りの老人が大事そうにそれを開けて見せた。一個所には詩人の洗礼の日付と洗礼名が 1564 April 26 Guliemus Filius Johannis Shakspere(ジョン・シェイクスピアの息子ウィリアム)とラテン名で記され、また他の一個所には死んだ日付が 1616 April 25 Will Shakspere, Gent. と記されてある。生れた日は四月二十二日(或いは二十三日)であるのに二十六日と記入されてるのは、その頃は生れて三日目に洗礼を受ける習慣だったからだと係りの老人は説明した。その頃の洗礼盤は古く
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