シェイクスピア(詩人の父)の住宅、東側の半分は店に使われていたと伝えられるが、それについては異説もあり、東側の半分は住宅で、店は西側だったのではないかともいう。そういわれると、そうのようにも思えるけれども、よくわからない。確実にわかってることは、ジョン・シェイクスピアが此の家を所有して、此の家に住んでいたということだけである。随ってウィリアム・シェイクスピアが此の家で呱々の声を揚げたということは信じてよい。
 入場料は一シリングで、西側の謂わゆる住宅の左寄に入口がある。下は居間と台所と他に小部屋が一つ。詩人の誕生の部屋として伝えられてるのは往来に面した二階の一室で、天井は低いが相当な広さを持ち、柱も太く、暖炉も大きく、壁の漆喰《しっくい》の下からはところどころ修覆に使った古煉瓦が露出している。室内はもちろんがらんどうで、ドアを入った右手に詩人の大きな胸像がテイブルの上に飾られ、その傍に此の粗末な部屋にはふさわしくない見事な彫のある櫃が一つと椅子が一脚置いてあるきりだ。イギリス国内はもとより、全世界から毎年八万人以上の訪問者(その四分の一はアメリカ人)があるというのも、主として墓と共に此
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