で、部屋を離れなかった。
町の見物のおもな個所は、シェイクスピアの生れた家と、晩年に買い取って住まっていた地所と、子供の時に通学していたグランマー・スクールと、遺骨の埋められてある寺と、そのくらいだが、それはそれとしてストラトフォードの町の或る部分はシェイクスピア時代からそのままに遺っているので、それを見て歩くだけでもよい見物である。
シェイクスピアの生れた家というのは、町の北寄りのヘンリ通《ストリート》に立つ木造の二階家で、ウォシントン・アーヴィングは、小さなみすぼらしい漆喰《しっくい》塗の木造の建物で、いかにも天才の巣ごもりの場所らしく、片隅でその雛《ひな》を孵《かえ》すのに好ましい所だ、と書いているが、それは百二十年の昔のことで、その後一八四七年以来、此の家は公有となり、一八五七年には大修繕が施され、一八九一年以来国有となり、今日では、アーヴィングを感激させた穢《きた》なたらしさは見られず、むしろ反対に、簡素ではあるが清潔な小ざっぱりした美しささえもある。入って見るとよくわかるが、もともと二軒の家をつなぎ合せて、一軒のように見せかけた拵えで、向って左側即ち西側の半分がジョン・
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