關謳カは感慨に耽っていられた。先生が一九一八年に訪問された時には、此の辺は一木一草もなくなっていたそうだが、二十年の間にひこばえがこれだけに成長したものと見える。尤も、戦争前はこの辺からかけてアルゴンヌまで巨木の大森林だったということではあるが。
 車はまず東の端のヴォーの砲塁の前に停まった。白っぽい岩山が低く東西にうねり連り、それを墻壁にして構築された塁砦で、南側には幾つも土窖の口が開いて居り、中には石でテューブ型に畳み上げられた営舎があり、町で買って来た当時の写真で見ると、両側に寝台が二段に組み立てられ、兵士が靴を穿いて外套を被たまま身体を横たえ、銃剣といっしょに鉄兜やガス・マスクを枕もとに置いている。その時の事を案内者の老兵士が私たちを導いて話して聞かした。その頃のフランス軍はひどく強かったものらしく、ヴォーの戦争は一九一六年二月からで、六月に一度ドイツ軍に占領されたのを十月に逆襲し、十一月には完全に奪還した。それが非常に近い距離の間で行われたのだから戦慄すべき肉迫戦が繰り返されたことは実地を見て殊に痛感される。
 穴から出て私たちは塁砦の上に攀じ登った。鉄条網の間から赤い芥子《
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