んで、かなりひどい犠牲を払ったのだということだ。記念柱の下にはアメリカ人らしい遊覧客が車を二三台乗り捨てて眺めていた。
私たちは記念柱の裏の高地に登って、物凄く破壊された寺の跡を見てまわり、ついでにロマーニュの戦跡を訪ねて、アルゴンヌの森を抜けた。ロマーニュにはシメティエ・アメリケエン(米軍共同墓地)があり、付近にはシメティエ・アルマン(独軍共同墓地)が二つほど見られた。後者では十字架が黒く塗られてあった。黒と白と色は塗り分けられても、こうして死んでしまえば敵も味方もなく、恐らく彼等は人生を寝ざめのわるい一場の(原本三字伏字)夢と観じて、それさえも今はあらかた忘れ果てているだろう。天よ、気の毒な子供たちに平安を与え給え!
四
死んでしまえば敵も味方もなくなると言ったが、生きてる時でさえ敵も味方もなくなるという一つの実例を私たちは私たちのショファに聞いた。彼は二十年前フランス軍の一兵士としてヴェルダンの戦線に出ていた。この辺でのことだったといって指ざしたのがヴォーの塁砦の付近だったように記憶するから、ヴォーかスーヴィルかでの出来事だろう。敵と味方が短距離で対抗して戦っ
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