水を汲み上げて運河に移す役目をもさせられている。
二
オランダのそういった風土的特色は、都市殊にアムステルダムとかロッテルダムとかいったような海港都市ではあまり見られないといったが、それでもレンブラントが一六四〇年に写生したアムステルダムの風景画(エッチング)を見ると、高塔の聳えた建物と並んで大きな風車が幾つも立っていて、前景は水草の生えた沼が荒地の景観を呈している。だから、その頃はオランダが航海と貿易によって富裕になりかけた時代で、アムステルダムなどはすでに国際都市的性質をおびていたといわれるにも拘らず、まだそういった田園的特色が見られていたものと思われる。今日でも、ハーグ、ライデン、ユトレヒト、ハーレムなどでは、大体からいって、町は近代化されてありながらも、なお昔を思わせるものが少なからず残っている。旅行者にとっては、それが大きな魅力である。
しかし、オランダ人としては、すべての都市が早く近代化して、アムステルダムの如くロッテルダムの如くなることの方が或いは望ましいのではないかとも思える(その証拠には、ハーグの新区域ムッセンベルクの住宅街の如きは、ベルリンの郊外にでも行ったような新様式の機構を持っている)が、旅行者としては、世界のどこででも見られるようなそんなものには興味は感じない。やはりオランダではオランダ的な物が見たい。同じことが日本を訪問する外国人旅行者の口から聞かれるのを私たちは知っている。東京のような近代都市は別として、京都とか奈良とかの千年以上の伝統を持った旧都では、趣のある古いものをむざむざと壊して安っぽい新しいものに取り替えるような心なき企を、妄《みだ》りにやってもらいたくないと希望するのは、ひとり外国人のみではないだろう。同じ意味で、オランダ人の中にもハーグやライデンやユトレヒトなどをば純粋にオランダ的に保存したいと熱望する者が少ないと聞いた。実際、世界中どこへ行っても似たり寄ったりの景観を持つようになったら、旅行の興味は恐らく半分以上なくなってしまうだろう。
その点、ヨーロッパでおよそベルリンぐらいおもしろくない都市は少ないといってもよい。街衢《がいく》はよく整頓され、家屋も道路も清潔に保たれてはあるが、なんだか方程式を見るような都市で、それ以上でもなければ、それ以下でもない。旅行者としては、むしろ、割り切れないものにぶっ突
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