者トゥルプ教授の視線はその二人の頭を越して画面の外に投げられてあるから。これはレンブラントの構図にしばしば見る特長で、事件がややもすればカンヴァスの範囲外に及ぶ。
一体、解剖のデモンストラティオンといったようなものは普通人には面を反向けられがちなもので、今日でも日本では大学・専門学校の解剖学の実習以外には公開されないことになってるようだが、オランダは三百年前からその方面の科学的進歩はいちじるしく、前野蘭化・杉田玄白等の学徒が初めて西洋科学を受け入れたのもオランダの解剖学であった。しかし、解剖のデモンストラティオンを画題として考えると、いかにも散文的で、味のないもので、下手に描いたら徒らに醜悪を暴露するに過ぎないような結果にならないとも限らない。オランダには、レンブラント以前に、この種の画題を取り扱った画家はたくさんあって、皆似たり寄ったりの構図で、教授と屍骸をまん中に取り囲んで輪を作ってる聴講者の群を描くのがきまりであった。しかるにレンブラントは、トゥルプ教授の依頼を受けてアムステルダムの外科医組合のために組合員の顔を描くことになった時、まず上に述べたような構図を考え出したのであった。画の性質がもともといわゆる組合員肖像画の注文であるから、各自の似顔を描かねばならないのである(その氏名は画の中の一人が手に持ってる紙に記されてある)が、画家としてはそれでは満足しきれなかった。で、彼は驚くべく犀利《さいり》な透視力を以って各自の顔を通して性格を読み取り、それをいつまで見ていても飽きることのない生きた表情として描き出した。
画面を一瞥してまず感じるものは、一人の死んだ男と七人の生きてる男の対照である。裸にされた血の気《け》のない青白い肉体と、着物で包まれた赤赤した顔の対照である。それ等の顔には目が光って理知が閃いている。七人は、教授(だけは帽子をかぶってる)を除いて皆無帽で、黒の服に白の飾襟を附け、赤い鬚を生やしているが、表情と姿勢はそれぞれの性格を表わして、まちまちである。一致してる点は講義する教授の言葉の理解に注意を集めてることである。それをばピンセットの尖に持ち上げられた腱を凝視しながら理解しようとしてる者もあれば、空《くう》を睨んで理解しようとしてる者もある。主題となってるものを求めれば「科学に対する情熱」とでもいおうか、それがこの画を緊密に統一している。生命
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