授け、一二七四年リオンの宗教會議に連らんためナポリを出で途にて病をえて死す(淨、二〇・六七――九並びに註參照)
トマスは中古の大知識にて著作多し、就中その『神學大全』(Summa theologiae)は今猶ローマ寺院の寶典たり、ダンテの神學説に甚だ顯著なる影響を與へしもこの書なり
一〇三―一〇五
【グラツィアーン】グラティアヌス。有名なるイタリアの寺院法學者、十二世紀の人、その編纂せる(一一四〇年頃)寺院法即ち所謂「グラツィアーノの寺院法」として世に知らるゝものは、聖書の本文、使徒の信條、宗教會議の法規、法王の令旨並びに諸聖父の拔萃文より成り、僧俗二法の調和をはかれる(二の法廷を助けし)ものなりといふ
一〇六―一〇八
【ピエートロ】ペトルス・ロムバルドゥス。(ロムバルディアなるノヴァーラ地方の生れなればこの名ありといふ)。十二世紀の始めに生れ、一一六〇年に死す、その編成せる教法集四卷(Sententiarum Iibri IV)はアウグスティヌス及びその他の諸聖父のキリスト教理に關する論説を集めしものにて實に寺院の寶[#「寶」に白丸傍点]と稱すべく、爾後この書の研究者註釋者甚だ多く、ペトルスは爲に教法先生(Magister sententiarum)の名にて廣く世に知らるゝにいたれりといふ
【貧しき女】二個の小錢を神に獻げし寡婦(ルカ、二一・一以下)
こは教法集の序詞に「かの貧しき女の如く、我等の貧窮の中より若干《そこばく》の財を主に獻げんと」云々とあるに因みてなりといふ
一〇九―一一一
【第五の光】ソロモン。ソロモンはダヴィデ王の子にてイスラエルの王なり
【その消息】ソロモンの魂の救はれしや否や(列王上、一一・一以下參照)は神學者間にとかくの議論ありし點なりければ(ヴァーノン『天堂篇解説』第一卷三五四―五頁參照)その眞の消息を聞かんと切に願ふなり
【戀より】特に「雅歌」の作者として
一一二―一一四
【眞もし眞ならば】眞その物なる聖書にして誤りなくば
【これと並ぶべき者】「我汝に賢き聽き心を與へたり、されば汝の先に汝の如き者なかりき、また汝の後に汝の如き者興らぎるべし」(列王上、三・一二)
一一五―一一七
【光】ディオニュシオス(デオヌシオ)。使徒パウロの教へを聽きてキリスト教徒となりしアレオパーゴの法官(使徒、一七・三四)。かの有名なる諸天使階級論(De caelesti Hierarchia)はディオニュシオスの作(實は後代の作)と見なされたれば天使の性云々といへるなり
一一八―一二〇
【小さき光】オロシウス(但し異説あり委しくはムーアの『批判』四五七頁以下を見よ)。イスパニアの高僧なり(四―五世紀)、聖アウグスティヌス(天、三二・三四――六註參照)の勸めに從ひキリスト教に對する異教徒の非難を論駁せんとて排異教徒史七卷を著はす。小さしといへるはその著作第一位にあらざればなるべし
【用ゐに供へし】アウグスティヌスの勸め及び助言に從つてかの書を著はし、アウグスティヌスをして自ら筆を執るに及ばざらしめし意
【信仰の】原文、「キリスト教時代の」
一二四―一二六
【聖なる魂】アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ポエティウス、イタリアの政治家兼哲學者、紀元四八〇年頃ローマに生れ、五一〇年ローマのコンスルとなる、ゴート人の王テオドリクス、ボエティウスがゴート人の手よりローマを救ひ出さんと謀れるを疑ひこれをパヴィアに幽閉し後死刑に處す(五二五年)、その獄中に著はせる『哲學の慰め』(De consolatione philosophiae)はダンテの愛讀書の一なり(『コンヴィヴィオ』二、一三・一四――六參照)
【一切の善】神
一二七―一二九
【チェルダウロ】パヴィアなる聖ピエートロの寺院にてボエティウスの墓所
【殉教】異教徒の苛責の下に死せるがゆゑに寺院は彼を殉教者となせり
一三〇―一三二
【イシドロ】イシドールス。シヴィリア(イスパニアの)の僧正、六三六年に死す、博學にして著作多し
【ベーダ】イギリスの高僧兼史家(七三五年死)、著作多し、就中『英國寺院史』最もあらはる
【リッカルド】リシャールス。コットランド人にてパリ附近なる『聖ヴィクトル』僧院の院主なり(一一七三年頃死)、ダンテはカン・グランデに與ふる書の中(五五三――四行)にてその著『瞑想論』を擧げたり。人なる者云々とは彼の所論の神秘的超人的なるをいふ
一三三―一三八
【死の來るを】瞑想によりて世の無常を觀じ、解脱の道を死に求むるなり
【藁の街】(Fr. rue du Fouarre)パリの街の名、哲學の諸學校この街にありきといふ。藁の街にて教ふといふはなほパリ大擧の教授となれりといふ如し(カーシーニ)
【嫉まるゝべき】己が説の爲に敵をつくるの謂ならむ、但しその如何なる説なりしやは明ならず、註釋者曰く。
シジエーリ、パリの宗教裁判所にて異端の罪を受け、抗辯の爲イタリアのオルヴィエート(その頃ローマの法廷ありし處)にいたり、かしこにて一僧侶の手に斃ると(スカルタッツィニ註參照)
【シジエーリ】シジエーリ・ド・ブラバンテ。ベルギーの人にてアヴェルロイス系の哲學者なりといふ、傳不詳(十三世紀)
一三九―一四四
【神の新婦】寺院。新郎[#「新郎」に白丸傍点]はキリスト
【朝の歌を】mattinar なる語は元來戀人等(男)がわが戀ふる女の家の前にてあさまだき歌をうたふ意なりといふ、かれらがかゝる歌をうたひて戀人の愛を得んとするを、寺院の會集が禮拜し祈祷して神の恩寵を受けんとするに譬へしなり
【時】早朝
【時辰儀】めざまし時計の一種なるべし、曳きかつ押すとは齒車の一が小槌を曳きかつ押して鈴《りん》を鳴らす意か、この時代に用ゐし自鳴鐘の構造明らかならざるがゆゑに定かにいひがたし。その秩序正しき運動と美妙の音とを諸靈の舞と歌とに此せり
【神に心】敬虔なる信徒の心を、神を愛するの愛にて
一四五―一四八
【輪】十二聖徒の輪


    第十一曲

トマス・アクイナス、聖フランチェスコの物語をなす
一―三
【推理】天上の福は人間至上の欲望なるべきに、人の理性完からねば推理を誤り、地上の物をもて人間至上の欲望となす
四―六
【醫】aforismi(箴言)名醫ヒッポクラテス(地、四・一四三)の著書『箴言』に因みて醫學の意に用ゐたり
【僧官】神に事へん爲ならで富に事へんため。
【詭辯】他を欺きて
一三―一五
【いづれの】前曲に出づる十二の靈のいづれも。トマスの語れる間舞をやめし十二の靈、再び舞ひつゝベアトリーチェとダンテのまはりを一周し、後又再び止まれるなり
一六―一八
【光】トマスの
【いよ/\あざやかに】天、五・一〇三以下參照
一九―二一
わが輝は神より出づ、かくの如く我は神を視て(即ち神の鏡にうつして)汝の疑ひの本を知る
二二―二七
【さきに】天、一〇・九六
【また】天、一〇・一一四。但し surse(興る)と nacque の(生る)との差あり(オックスフォード版)
學會本、前後同じ(ムーア『用語批判』四六〇頁以下參照)
三一―三三
【新婦】寺院。新郎はキリストなり
【大聲によばはり】十字架上に(マタイ、二七・四六及び五〇等)
【血をもて】「主の寺院、即ち主が己の血をもて買給ひし寺院を」云々(使徒、二〇・二八)
【愛む者】新郎キリスト
三四―三六
「左右の」一は智をもて導き、一は愛をもて導く、次聯註參照
三七―三九
【熱情】フランチェスコの愛の強きをいへり、セラフィーノは愛に然ゆる天使なり
【知慧】ドミニクスの智の深きをいへり、ケルビーノは智に富む天使なり
愛は新婦をしていよ/\夫に忠實ならしめ、智はこれをして安んじて(異端邪説等の恐れなく)夫の許に往かしむ
四〇―四二
【一人】フランチェスコ
【目的は一】寺院の保護指導
四三―四五
まづフランチェスコの生地アッシージの地勢を陳ぶ
【トゥピーノ】アペンニノより出で、アッシージの南を流れ、キアーシオと合してテーヴェルに注ぐ小川の名
【ウバルド尊者】ウバルド・バルダッシーニ。一一二九年より一一六〇年までグッビオの僧正たり、その以前グッビオ諸山の一なるアンシアーノ山に卜居しゐたりといふ
【選ばれし】ウバルドは後再びかの地に隱遁してその一生を送る意圖ありしも果さゞりきといふ
【水】キアーシオ河。アンシアーノ山より出でアッシージの西を流れてトゥピーノと合する小川
【高山】スパーシオ山(アペンニノの分脈)。アッシージはこの山の西の腰にあり
【肥沃の】葡萄、橄欖の産地なれば
四六―四八
【ペルージア】アッシージの西の方約十五マイルにある町
【ポルタ・ソレ】アッシージに面するペルージアの門をかく呼べることありといふ。スバーシオの山々は夏期日光を反射し冬期雪に蔽はるゝが故に寒暑の影響をペルージアに及ぼすといへり
【ノチェーラとグアルド】スバーシオ山の後方即ち東(アッシージの東北)にある二邑
【重き軛】grave giogo ペルージアに從屬してその壓制に苦しめるをいふ
或曰く。こは「不毛の山地」の義にて、東方の地の急坂多く耕作の利なきをいひ、四五行の fertile costa と對照せしめしものなりと
四九―五一
【嶮しさの】山坂の急ならざる處より
【日輪】イタリアの高僧聖フランチェスコ(一一八二―一二二六年)
【これ】我等の居る處なるこの太陽
【をりふし】常に同じ地點より出づるにあらねばかくいへり。この太陽が夏期最強の光を放ちて東の方インドのガンジス河口より現はれ出づる如く
五二―五四
【アーシェージ】Ascesi アッシージ(Assisi)の古名
五五―五七
【地に】彼の例に傚ひて徳に進むの念を世人に起さしめしなり
五八―六〇
【女】貧(七三――五行)
【父と爭ひ】貧を選べる爲父の不興を蒙れること
この頃フランチェスコ衣類と馬とを賣りて得たる價を一寺院に喜捨し、爲に父の譴責を受けしことありといふ
六一―六三
【己が靈の法廷】アッシージの僧正の法廷。フランチェスコはこの僧正と父との前にて父の財産を繼がじと誓ひたり
六四―六六
【最初の夫】キリスト(七〇――七二行註參照)
六七―六九
【アミクラーテ】アミュクラス、ダルマーチアの貧しき漁夫、一茅屋と一艘の舟とはその全財産たり、カエサル對ポムペイウス戰亂の餘波を受けて略奪盛に行はれ人心恟々たりし時アミュクラス獨り赤貧と親しみ臥するに戸を閉づることなし、一日カエサル、アドリアティコ海を渡りてイタリアに赴かんためその茅屋に至れるに彼さらに驚かず、客のカエサルなるを知りて猶容易に船を出すを肯はざりき(『コンヴィヴィオ』四、一三・九七以下參照)
【益なく】かの女の益とならざること。世人はかゝる物語を聞くとも貧を愛するにいたらざれはなり
七〇―七二
【マリアを】ヨハネ傳一九・二五參照
【クリストとともに】キリストは貧に生れて貧に死し給へり、「狐に穴あり、空《そら》の鳥に巣あり、されど人の子には枕する所なし」(マタイ傳八・二〇)
七三―七五
【長き言】五八―七二行にいへること
七六―七八
フランチェスコが清貧と親しみ深くこれを愛せることは世の教訓となり、人多くその例に傚ふにいたれり
【愛、驚、及び敬ひ】世人は愛と驚嘆と畏敬とをもてかれらの和合喜悦を見、遂に自ら聖なる思ひを懷くにいたれり
七九―八一
【ベルナルド】ベルナルド・ダ・クワンタヴァルレ。アッシージの富豪、フランチェスコの最初の弟子となりてその産を貧者に分與す
【沓をぬぎ】師の例に傚ひ素足にて歩むこと
【大いなる平安】清貧の生活
八二―八四
【未知の】清貧は世人未知の富、裕に果を結ぶ(眞の福の果を)寶なり
【エジディオ】アッシージの人(一二七二年死)、その著 Verba aurea(金言)今に傳はる
【シルヴェストロ】アッシージの僧
【新郎】フランチェスコ。新婦[#「新婦」に白丸傍点]は貧
八五―八七
フランチェスコがその派の規定に對して法王インノケンティウス三世(一一九八年より一二一六年まで法王たり)の准許をえん爲、貧(戀人[#「戀人」に白丸傍点])と
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