ノ物を見てしかして醒むれば、餘情のみさだかに殘りて他は心に浮び來らざる人の如し 五八―六〇
そはわが見しもの殆んどこと/″\く消え、これより生るゝうるはしさのみ今猶心に滴《したゝ》ればなり 六一―六三
雪、日に溶くるも、シビルラの託宣、輕き木葉《このは》の上にて風に散り失するも、またかくやあらむ 六四―六六
あゝ至上の光、いと高く人の思ひを超ゆる者よ、汝の現はれしさまをすこしく再びわが心に貸し 六七―六九
わが舌を強くして、汝の榮光の閃《きらめき》を、一なりとも後代《のちのよ》の民に遺すをえしめよ 七〇―七二
そはいさゝかわが記憶にうかび、すこしくこの詩に響くによりて、汝の勝利はいよ/\よく知らるゝにいたるべければなり 七三―七五
わが堪へし活光《いくるひかり》の鋭《するど》さげにいかばかりなりしぞや、さればもしこれを離れたらんには、思ふにわが目くるめきしならむ 七六―七八
想ひ出れば、我はこのためにこそ、いよ/\心を堅《かた》うして堪《た》へ、遂にわが目を無限《かぎりなき》威力《ちから》と合はすにいたれるなれ 七九―八一
あゝ我をして視る力の盡くるまで、永遠《とこしへ》の光の中に敢て目を注《そゝ》がしめし恩惠《めぐみ》はいかに裕《ゆたか》なるかな 八二―八四
我見しに、かの光の奧には、遍《あまね》く宇宙に枚《ひら》となりて分れ散るもの集り合ひ、愛によりて一《ひとつ》の卷《まき》に綴《つゞ》られゐたり 八五―八七
實在、偶在、及びその特性相|混《まじ》れども、その混る状《さま》によりて、かのものはたゞ單一の光に外ならざるがごとくなりき 八八―九〇
萬物を齊《とゝの》へこれをかく結び合はすものをば我は自ら見たりと信ず、そはこれをいふ時我わが悦びのいよ/\さはなるを覺ゆればなり 九一―九三
たゞ一の瞬間《またゝくま》さへ、我にとりては、かのネッツーノをしてアルゴの影に驚かしめし企圖《くはだて》における二千五百年よりもなほ深き睡りなり 九四―九六
さてかくわが心は全く奪はれ、固く熟視《みつめ》て動かず移らず、かつ視るに從つていよ/\燃えたり 九七―九九
かの光にむかへば、人甘んじて身をこれにそむけつゝ他の物を見るをえざるにいたる 一〇〇―一〇二
これ意志の目的《めあて》なる善みなこのうちに集まり、この外《そと》にては、こゝにて完《まつた》き物も完からざるによりてなり 一〇三―一〇五
今やわが言《ことば》は(わが想起《おもひいづ》ることにつきてさへ)、まだ乳房《ちぶさ》にて舌を濡らす嬰兒《をさなご》の言《ことば》よりもなほ足《た》らじ 一〇六―一〇八
わが見し生くる光の中にさま/″\の姿のありし爲ならず(この光はいつも昔と變らじ) 一〇九―一一一
わが視る力の見るにつれて強まれるため、たゞ一の姿は、わが變るに從ひ、さま/″\に見えたるなりき 一一二―一一四
高き光の奧深くして燦《あざや》かなるがなかに、現はれし三《みつ》の圓あり、その色三にして大いさ同じ 一一五―一一七
その一はイリのイリにおけるごとく他の一の光をうけて返すと見え、第三なるは彼方《かなた》此方《こなた》より等しく吐かるゝ火に似たり 一一八―一二〇
あゝわが想《おもひ》に此《くら》ぶれば言《ことば》の足らず弱きこといかばかりぞや、而してこの想すらわが見しものに此ぶればこれを些《すこし》といふにも當らじ 一二一―一二三
あゝ永遠《とこしへ》の光よ、己が中にのみいまし、己のみ己を知り、しかして己に知られ己を知りつゝ、愛し微笑《ほゝゑ》み給ふ者よ 一二四―一二六
反映《てりかへ》す光のごとく汝の生むとみえし輪は、わが目しばしこれをまもりゐたるとき 一二七―一二九
同じ色にて、その内に、人の像《かたち》を描き出しゝさまなりければ、わが視る力をわれすべてこれに注げり 一三〇―一三二
あたかも力を盡して圓を量《はか》らんとつとめつゝなほ己が要《もと》むる原理に思ひいたらざる幾何學者《きかがくしや》の如く 一三三―一三五
我はかの異象《いしやう》を見、かの像《かたち》のいかにして圓と合へるや、いかにしてかしこにその處を得しやを知らんとせしかど 一三六―一三八
わが翼これにふさはしからざりしに、この時一の光わが心を射てその願ひを滿たしき 一三九―一四一
さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは宛然《さながら》一樣に動く輪の如く、はや愛に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《めぐ》らさる 一四二―一四四
日やそのほかのすべての星を動かす愛に。 一四五―一四七
[#改ページ]

       註([#ここから割り注]地、は『神曲(地獄篇)』。淨、は『神曲(淨火篇)』。天、は『神曲(天堂篇)』の略[#ここで割り注終わり])

    第一曲

ダンテ、ベアトリーチェとともに第一天(月)にむかひて昇り、みちすがら淑女の教へを聽く
一―三
【動かす者】神(淨、二五・七〇及び『コンヴィヴィオ』三・一五・一五五以下參照)
【一部に】神の榮光はいたらぬくまなし、されど受くる者の力に從ひその受くる光に多少あり
四―六
【天】エムピレオの天(ダンテがカン・クランデに與ふる書四三八行以下參照)
【知らず】知らざるは忘るればなり、えざるは言葉及ばざれはなり(同上、五七三―五行參照)
七―九
【己が願ひ】神。我等の智その終極の目的なる神に近きがゆゑに神を見、神を知らんとて奧深く進み入るなり
一三―一五
【アポルロ】アポロン、ゼウスとレトの間の子(淨、二〇・一三〇―三二註參照)、こゝにては詩の神として
【愛する桂】アポロン、河神ペネウスの女なるニンファ、ダフネを慕ひてこれを追ふ、ダフネその及ばざるを見、救ひを己が父に請ひ遂に化して桂樹となる。アポロン即ちその枝を抱き樹に接吻《くちづけ》していふ「われ汝をわが妻となす能はざれば、せめては汝をわが木となさむ、あゝ桂《ラウロ》よ、汝は常にわが髮わが琴わが胡※[#「竹かんむり/祿」、第3水準1−89−76]《やなぐひ》の餝《かざり》となるべし」云々(オウィディウス『メタモルフォセス』一・四五二以下)。桂は詩人の榮冠なり
一六―一八
地獄、淨火の二篇においてはムーサの助けのみにて足りしかど、天堂篇においてはこれに加へてさらにアポロンの助けを借らざるべからず、これ詩題のいよ/\聖にしていよ/\難きによりてなり
【一の巓】パルナーゾ(パルナッソス)(淨、二・六四―六註參照)に二の峯あること神話に見ゆ(『メタモルフォセス』一・三一六以下等)されどダンテがその一をムーサの、他をアポロンのとゞまる所とせしは、やゝ中古の傳説と異なれり
一九―二一
マルシュアスに勝ちし時のごとき美妙の樂をダンテに奏せしめよとの意。「氣息《いき》を嘘《ふ》く」は靈感を與ふるなり
【マルシーア】フリュギアのサテュロス、マルシュアス。アテナの棄てし笛を拾ひてこれを吹き、遂にアポロンと技を競べんことを求む。アポロン琴を彈じ歌をうたひてこれに勝ち、その僭上を惡《にく》むのあまりこれが身の皮を剥ぐ(『メタモルフォセス』六・三八二以下參照)
二二―二四
【汝我をたすけ】原、「汝己を我に貸し」
二五―二七
【詩題と汝】詩題の崇高と汝の祐助
二八―三〇
【チェーザレ】皇帝。桂はまた凱旋のしるしとして、皇帝武將等の冠となれり
【人の思ひの】人、俗情に役せられ、かゝる榮冠をうるにいたること甚だ罕《まれ》なり
三一―三三
【ペネオの女の葉】桂の葉。ペネオはペネウス。
【デルフォの神】アポロン。デルポイ(デルフォ)はパルナッソスの麓の町にてアポロンの聖地なり。スカルタッツィニ曰く、「詩は形さま/″\なれどおしなべて人間の慰藉となるものなれば、悦び多し[#「悦び多し」に白丸傍点]といへるなり」と(?)桂冠を望み求むるものあれば、アポロンの喜び愈※[#二の字点、1−2−22]深し
三四―三六
【小さき火花に】ダンテの詩に勵まされてダンテよりもさらに大いなる詩人いで、アポロンの助けにより、さらによく天堂の歌をうたふことあるべきをいへり
【チルラ】アポロン。但しパルナッソスの二の峯の名一定せざれば、ダンテがキルラ(チルラ)をその一と見做してかく曰へるか、或ひはパルナッソスより程遠からぬキルラの町(同じくアポロンの聖地)を指して曰へるか明らかならず
三七―三九
【世界の燈】太陽。四時の變遷に從つて地平線上多くの異なる點よりあらはる
【四の圈】春分に至れば太陽は四の圈即ち地平線、黄道、赤道、及び二分徑圈相交叉して三の十字を造る一點よりいづ(ムーア『ダンテ研究』第三卷六〇頁以下參照)
註釋者或ひは曰。四の圈は四大徳(淨、一・二二―四註參照)の象徴にて三の十字は教理の三徳の象徴なりと
四〇―四二
【道まさり】春日は四季を通じて最も樂しく麗はしければ
【星】白羊宮の星。そのまさる[#「まさる」に白丸傍点]は地上に及ぼす影響の善きをいふ、天地の創造せられし時、太陽は白羊宮にありてその運行を始めしなり(地、一・三七―四五註參照)
【世の蝋】太陽が光熱によりてその力を世に及ぼしこれに活力を與へこれを幸ならしむることの愈※[#二の字点、1−2−22]著しきを、印象《かた》を蝋の上に現はすことのあざやかなるにたとへしなり
四三―四五
【かしこ】野火
【こゝ】わが世界
【殆ど】太陽白羊宮にあれども、はや春分(三月二十一日)を過ぎて北に向へるがゆゑにかくいへり(今は四月十三日)
【かの半球】南半球。今は淨火の正午
【その他】北半球。イエルサレムの夜半
ダンテが樂園にエウノエの水を飮みしは正午の事なり(淨、三三・一〇三―五)、しかして水を飮みて後直ちに月天に向へるなり(スカルタッツィニ註參照)、さればこの一聯の前半は單に日出時の太陽の位置をいへるものにて天に昇らんとするの時をいへるものにはあらず
ダンテは日暮れて後(絶望を表はす)地獄に入り、夜の明くる頃(希望を表はす)淨火に達し、正午(完全を表はす)に天に向ひて登れり(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二六五頁參照)
四六―四八
【左に】東(淨、二九・一〇―一二、同三二・一六―八參照)より轉じて北に。南半球正午の太陽は東にむかふ者の左にあり
【鷲】その眼よく太陽を直視すと信ぜられたればなり
四九―五一
第一の光線は投射線にて第二の光線は反射線なり。光線光澤ある物體に當り反射して元に還ることあたかも目的地に達しゝ旅客の再び郷に歸るに似たり
五二―五四
ベアトリーチェが太陽を見しことダンテの同感に訴へ、ダンテまたこれに做ふにいたりたれば、前者の動作より後者のそれの生れしこと、なほ反射線の投射線より生るゝ如し
五五―五七
地上の樂園は神が永遠の幸福の契約として人類に與へ給ひし處なれば(淨、二八・九一―三參照)、かの地特殊の神恩により、北半球の世界にては人の爲し能はざる事にて樂園に爲すをうること多し。ダンテが太陽を直視しえしもその一例なり、こはいふまでもなく人の罪淨まりてよく神恩の光を仰ぐをうるの意を寓す
六一―六三
光の俄に増したるは既に樂園を離れて急速に昇りゐたればなり
【者】神
六四―六六
【永遠の輪】諸天
六七―六九
ダンテ未だ長く太陽を見るをえざれど、ベアトリーチェの姿を通じて神恩彼の上に注ぎ、彼を超人の境に入らしむ
【グラウコ】グラウコス。エウボイアの漁夫、嘗て海濱に置きたる魚が、あたりの草に觸るゝとともに俄に勢を得躍りて海に入るを見て自らまたその草を噛みしに、是時性情忽焉として變じ、續いて海に入りて海神となれり(『メタモルフォセス』一三・八九八以下參照)
七〇―七二
【是故に】神恩によりて他日かゝる超人の經驗を自ら有するにいたる人々今はたゞこのグラウコスの例をもて足れりとすべし
七三―七五
【愛】神
【我は】我はたゞわが靈魂のみにて天に昇れるか、將《は》た肉體と共にありてしかせるか(コリント後、一二・三參照)
【最後に造りし】形體既に成りて後、神の嘘入《ふきい》れ給ふ新しき靈(淨、二五・六七以下參照)。但し Novellamente を新たに、即ち自然の作用
前へ 次へ
全49ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山川 丙三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング