身をゆるがせしさまといふとも 三四―三六
(こはその母これをキロネより奪ひ、己が腕《かひな》にねむれる間にシロに移せし時の事なり、その後かのギリシア人《びと》これにかしこを離れしむ) 三七―三九
睡《ねむり》顏より逃《に》げしときわがうちふるひしさまに異ならじ、我はあたかも怖れのため氷に變る人の如くに色あをざめぬ 四〇―四二
わが傍には我を慰むる者のみゐたり、日は今高きこと二時《ふたとき》にあまれり、またわが顏は海のかたにむかひゐたりき 四三―四五
わが主曰ふ。おそるゝなかれ、心を固うせよ、よき時來りたればなり、汝の力をみなあらはして抑《おさ》ふるなかれ 四六―四八
汝は今淨火に着けり、その周邊《まはり》をかこむ岩をみよ、岩分るゝとみゆる處にその入口あるをみよ 四九―五一
今より暫《しば》し前《さき》、晝にさきだつ黎明《あけぼの》の頃、汝の魂かの溪を飾る花の上にて汝の中に眠りゐたるとき 五二―五四
ひとりの淑女來りて曰ふ、我はルーチアなり、我にこの眠れる者を齎らすを許せ、我斯くしてその路を易からしめんと 五五―五七
ソルデルとほかの貴き魂は殘れり、淑女汝を携へて日の出づるとともに登り來り、我はその歩履《あゆみ》に從へり 五八―六〇
彼汝をこゝに置きたり、その美しき目はまづ我にかの開きたる入口を示せり、しかして後彼も睡りもともに去りにき。 六一―六三
眞《まこと》あらはるゝに及び、疑ひ解けて心やすんじ、恐れを慰めに變ふる人のごとく 六四―六六
我は變りぬ、わが思ひわづらふことなきをみしとき、導者岩に沿ひて登り、我もつづいて高處《たかみ》にむかへり 六七―六九
讀者よ、汝よくわが詩材のいかに高くなれるやを知る、されば我さらに多くの技《わざ》をもてこれを支へ固むるともあやしむなかれ 七〇―七二
我等近づき、一の場所にいたれるとき、さきにわが目に壁を分つ罅《われめ》に似たる一の隙《ひま》ありとみえしところに 七三―七五
我は一の門と門にいたらんためその下に設けし色異なれる三の段《きだ》と未だ物言はざりしひとりの門守《かどもり》を見たり 七六―七八
またわが目いよ/\かなたを望むをうるに從ひ、我は彼が最高き段《きだ》の上に坐せるをみたり、されどその顏をばわれみるに堪へざりき 七九―八一
彼手に一の白刃《しらは》を持てり、この物光を映《うつ》してつよく我等の方に輝き、我屡※[#二の字点、1−2−22]目を擧ぐれども益なかりき 八二―八四
彼曰ふ。汝等何を欲するや、その處にてこれをいへ、導者いづこにかある、漫りに登り來りて自ら禍ひを招く勿れ。 八五―八七
わが師彼に答へて曰ふ。此等の事に精《くは》しき天の淑女今我等に告げて、かしこにゆけそこに門ありといへるなり。 八八―九〇
門守《かどもり》ねんごろに答へていふ。願はくは彼|幸《さいはひ》の中に汝等の歩みを導かんことを、さらば汝等我等の段《きだ》まで進み來れ。 九一―九三
我等かなたにすゝみて第一の段《きだ》のもとにいたれり、こは白き大理石にていと清くつややかなれば、わが姿そのまゝこれに映《うつ》りてみえき 九四―九六
第二の段は色ペルソより濃き、粗《あら》き燒石にて縱にも横にも罅裂《ひゞ》ありき 九七―九九
上にありて堅き第三の段は斑岩《はんがん》とみえ、脈より迸る血汐のごとく赤く煌《きらめ》けり 一〇〇―一〇二
神の使者《つかひ》兩足《もろあし》をこの上に載せ、金剛石とみゆる閾のうへに坐しゐたり 一〇三―一〇五
この三の段をわが導者は我を拉《ひ》きてよろこびて登らしめ、汝うやうやしく彼に※[#「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1−84−68]《とざし》をあけんことを請へといふ 一〇六―一〇八
我まづ三度《みたび》わが胸を打ち、後つゝしみて聖なる足の元にひれふし、慈悲をもてわがために開かんことを彼に乞へり 一〇九―一一一
彼七のP《ピ》を劒《つるぎ》の尖《さき》にてわが額に録《しる》し、汝内に入らば此等の疵を洗へといふ 一一二―一一四
灰または掘上《ほりあげ》し乾ける土はその衣と色等しかるべし、彼はかゝる衣の下より二の鑰《かぎ》を引出《ひきいだ》せり 一一五―一一七
その一は金、一は銀なりき、初め白をもて次に黄をもて、かれ門をわが願へるごとくにひらき 一一八―一二〇
さて我等にいひけるは。この鑰のうち一若し缺くる處ありてほどよく※[#「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1−84−68]《とざし》の中《なか》にめぐらざればこの入口ひらかざるなり 一二一―一二三
一は殊《こと》に價|貴《たふと》し、されど一は纈《むすび》を解《ほぐ》すものなるがゆゑにあくるにあたりて極めて大なる技《わざ》と智《さとり》を要《もと》む 一二四―一二六
我此等をピエルより預かれり、彼我に告げて、民わが足元にひれふさば、むしろ誤りて開くとも誤りて閉《と》ぢおく勿れといへり。 一二七―一二九
かくて聖なる門の扉を押していひけるは。いざ入るべし、されど汝等わが誡めを聞け、すべて後方《うしろ》を見る者は外《そと》に歸らむ。 一三〇―一三二
聖なる門の鳴《なり》よき強き金屬《かね》の肘金《ひぢがね》、肘壺《ひぢつぼ》の中にまはれるときにくらぶれば 一三三―一三五
かの良きメテルロを奪はれし時のタルペーアも(この後これがために瘠す)その叫喚《わめ》きあらがへることなほこれに若かざりしなるべし 一三六―一三八
我は最初《はじめ》の響きに心をとめてかなたにむかひ、うるはしき調《しらべ》にまじれる聲のうちにテー・デウム・ラウダームスを聞くとおぼえぬ 一三九―一四一
わが耳にきこゆるものは、あたかも人々立ちて樂《がく》の器《うつは》にあはせてうたひその詞きこゆることあり 一四二―一四四
きこえざることある時の響きに似たりき 一四五―一四七
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第十曲
我等門の閾の内に入りし後(魂の惡き愛|歪《ゆが》める道を直《なほ》く見えしむるためこの門開かるゝこと稀なり) 一―三
我は響きをききてその再び閉されしことを知りたり、我若し目をこれにむけたらんには、いかなる詫《わび》も豈この咎にふさはしからんや 四―六
我等は右に左に紆行《うね》りてその状《さま》あたかも寄せては返す波に似たる一の石の裂目《さけめ》を登れり 七―九
わが導者曰ふ。我等は今|縁《ふち》の逼らざるところを求めてかなたこなたに身を寄するため少しく技《わざ》を用ゐざるをえず。 一〇―一二
この事我等の歩みをおそくし、虧けたる月|安息《やすみ》を求めてその床に歸れる後 一三―一五
我等はじめてかの針眼《はりのめ》を出づるをえたり、されど山|後方《しりへ》にかたよれる高き處にいたりて、我等自由に且つ寛《ゆるや》かになれるとき 一六―一八
われ疲れ、彼も我も定かに路をしらざれば、われらは荒野《あらの》の道よりさびしき一の平地《ひらち》にとゞまれり 一九―二一
空處に隣《とな》れるその縁《へり》と、たえず聳ゆる高き岸の下《もと》との間は、人の身長《みのたけ》三|度《たび》はかるに等しかるべし 二二―二四
しかしてわが目その翼をはこぶをうるかぎり右にても左にてもこの臺《うてな》すべて斯《かく》の如く見えき 二五―二七
我等の足未だその上を踏まざるさきに、我は垂直にして登るあたはざるまはりの岸の 二八―三〇
純白の大理石より成り、かのポリクレートのみならず、自然もなほ恥づるばかりの彫刻《ほりもの》をもて飾らるゝをみたり 三一―三三
天を開きてその長き禁《いましめ》を解きし平和(許多《あまた》の年の間、世の人泣いてこれを求めき)を告げしらせんとて地に臨める天使の 三四―三六
うるはしき姿との處に刻《きざ》まれ、ものいはぬ像と見えざるまで眞に逼りて我等の前にあらはれぬ 三七―三九
誰か彼が幸《さち》あれ[#「あれ」に白丸傍点]といひゐたるを疑はむ、そは尊き愛を開かんとて鑰を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》せる女の象《かたち》かしこにあらはされたればなり 四〇―四二
しかして神[#「神」に白丸傍点]の婢《はしため》を見よ[#「見よ」に白丸傍点]といふ言葉、あたかも蝋に印影《かた》の捺《お》さるゝごとくあざやかにその姿に摺《す》られき 四三―四五
汝思ひを一の處にのみ寄する勿れ。人の心臟《こゝろ》のある方《かた》に我をおきたるうるはしき師斯くいへり 四六―四八
我即ち目をめぐらして見しに、マリアの後方《うしろ》、我を導ける者のゐたるかなたに 四九―五一
岩に彫りたる他《ほか》の物語ありき、このゆゑに我はこれをわが目の前《さき》にあらしめんとてヴィルジリオを超えて近づきぬ 五二―五四
そこには同じ大理石の上に、かの聖なる匱《はこ》を曳きゐたる事と牛と刻《きざ》まれき(人この事によりて委《ゆだ》ねられざる職務《つとめ》を恐る) 五五―五七
その前には七の組に分たれし民見えたり、彼等はみなわが官能の二のうち、一に否と一に然り歌ふといはしむ 五八―六〇
これと同じく、わが目と鼻の間には、かしこにゑりたる薫物《たきもの》の煙について然と否との爭ひありき 六一―六三
かしこに謙遜《へりくだ》れる聖歌の作者|衣《きぬ》ひき※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《かゝ》げて亂れ舞ひつゝ恩惠《めぐみ》の器《うつは》にさきだちゐたり、この時彼は王者《わうじや》に餘りて足らざりき 六四―六六
對《むかひ》の方《かた》には大いなる殿《との》の窓の邊《ほとり》にゑがかれしミコル、蔑視《さげすみ》悲しむ女の如くこれをながめぬ 六七―六九
我わが立てる處をはなれ、ミコルの後方《うしろ》に白く光れる一の物語をわが近くにみんとて足をはこべば 七〇―七二
こゝには己が徳によりてグレゴーリオを動かしこれに大いなる勝利《かち》をえしめしローマの君の榮光高き事蹟を寫せり 七三―七五
わが斯くいへるは皇帝トラヤーノの事なり、ひとりの寡婦《やもめ》涙と憂ひを姿にあらはし、その轡のほとりに立てり 七六―七八
君のまはりには多くの騎馬武者|群《むら》がりて押しあふごとく、またその上には黄金《こがね》の中なる鷲風に漂《たゞよ》ふごとく見えたり 七九―八一
すべてこれらの者のなかにてかの幸《さち》なき女、主よわがためにわが子の仇を報いたまへ、彼死にてわが心いたく傷《いた》むといひ 八二―八四
彼はこれに答へて、まづわが歸るまで待てといふに似たりき、また女、あたかも歎きのために忍ぶあたはざる人の如く、我主よ 八五―八七
若し歸り給はずばといひ、彼、我に代る者汝の爲に報いんといひ、女又、汝己の爲すべき善を思はずば人善を爲すとも汝に何の係《かゝはり》在らん 八八―
といひ、彼聞きて、今は心を安んぜよ、我わが義務《つとめ》を果して後行かざるべからず、正義これを求め、慈悲我を抑《と》むといふに似たりき ―九三
未だ新しき物を見しことなきもの、この見るをうべき詞を造りたまへるなり、こは世にあらざるがゆゑに我等に奇《めづら》し 九四―九六
かく大いなる謙遜を表はしその造主《つくりぬし》の故によりていよ/\たふときこれらの象《かたち》をみ、われ心を喜ばしゐたるに 九七―九九
詩人さゝやきていふ。見よこなたに多くの民あり、されどその歩《あゆみ》は遲し、彼等われらに高き階《きざはし》にいたる路を教へむ。 一〇〇―一〇二
眺《なが》むることにのみ凝《こ》れるわが目も、その好む習ひなる奇《めづら》しき物をみんとて、たゞちに彼の方《かた》にむかへり 一〇三―一〇五
讀者よ、げに我は汝が神何によりて負債《おひめ》を償はせたまふやを聞きて己の善き志より離るゝを願ふにあらず 一〇六―一〇八
心を苛責の状態《ありさま》にとむるなかれ、その成行《なりゆき》を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判《さばき》の後まで續かざることを思へ 一〇九―一一一
我曰ふ。師よ、こなたに動くものをみるに姿人の如くならず、されどわが目迷ひて我その何なるを知りがたし。 一一二―一一四
彼我に。苛責の重荷《おもに》彼等を地に屈《かゞ》ま
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