こと碎麻機《あさほぐし》の如く、かくしてみたりの者をなやめき 五五―五七
わけて前なる者は爪にかけられ、その背しば/\皮なきにいたれり、これにくらぶれば噛まるゝは物の數ならじ 五八―六〇
師曰ふ、高くかしこにありてその罰最も重き魂はジユダ・スカリオットなり、彼頭を内にし脛を外に振る 六一―六三
頭さがれるふたりのうち、黒き顏より垂るゝはプルートなり、そのもがきて言《ことば》なきを見よ 六四―六六
また身いちじるしく肥ゆとみゆるはカッシオなり、されど夜はまた來れり、我等すでにすべてのものを見たればいざゆかん 六七―六九
我彼の意に從ひてその頸を抱けるに彼はほどよき時と處をはかり、翼のひろくひらかれしとき 七〇―七二
毛深き腋に縋《すが》り、叢《むら》また叢をつたはりて濃き毛と氷層のあひだをくだれり 七三―七五
かくて我等股の曲際《まがりめ》腰の太《ふと》やかなるところにいたれば導者は疲れて呼吸《いき》もくるしく 七六―七八
さきに脛をおけるところに頭をむけて毛をにぎり、そのさま上《のぼ》る人に似たれば我は再び地獄にかへるなりとおもへり 七九―八一
よわれる人の如く喘ぎつゝ師曰ひけるは、かたくとらへよ、我等はかゝる段《きだ》によりてかゝる大いなる惡を離れざるをえず 八二―八四
かくて後彼とある岩の孔《あな》をいで、我をその縁《ふち》にすわらせ、さて心して足をわが方《かた》に移せり 八五―八七
我はもとのまゝなるルチーフェロをみるならんとおもひて目を擧げて見たりしにその脛上にありき 八八―九〇
わが此時の心の惑ひはわが過ぎし處の何なるやを辨《わきま》へざる愚なる人々ならではしりがたし 九一―九三
師曰ふ、起きよ、路遠く道程《みちすぢ》艱《かた》し、また日は既に第三時の半に歸れり 九四―九六
我等の居りし處は御館《みたち》の廣間《ひろま》にあらず床《ゆか》粗《あら》く光乏しき天然の獄舍《ひとや》なりき 九七―九九
我立ちて曰ひけるは、師よ、わがこの淵を去らざるさきに少しく我に語りて我を迷ひの中よりひきいだしたまへ 一〇〇―一〇二
氷はいづこにありや、この者いかなればかくさかさまに立つや、何によりてたゞしばしのまに日は夕《ゆふ》より朝に移れる 一〇三―一〇五
彼我に、汝はいまなほ地心のかなた、わがさきに世界を貫くよからぬ蟲の毛をとらへし處にありとおもへり 一〇六―一〇八
汝のかなたにありしはわがくだれる間のみ、われ身をかへせし時汝は重量《おもさ》あるものを四方より引く點を過ぎ 一〇九―一一一
廣き乾ける土に蔽はれ、かつ罪なくして世に生れ世をおくれる人その頂點のもとに殺されし半球を離れ 一一二―
いまは之と相對《あひむか》へる半球の下にありて、足をジユデッカの背面を成す小さき球の上におくなり ―一一七
かしこの夕はこゝの朝にあたる、また毛を我等の段《きだ》となせし者の身をおくさまは今も始めと異なることなし 一一八―一二〇
彼が天よりおちくだれるはこなたなりき、この時そのかみこの處に聳えし陸は彼を恐るゝあまり海を蔽物《おほひ》となして 一二一―一二三
我半球に來れるなり、おもふにこなたにあらはるゝものもまた彼をさけんためこの空處をこゝに殘して走り上《のぼ》れるなるべし 一二四―一二六
さてこの深みにベルヅエブの許より起りてその長さ墓の深さに等しき一の處あり、目に見えざれども 一二七―
一の小川の響きによりてしらる、この小川は囘《めぐ》り流れて急ならず、その噛み穿てる岩の中虚《うつろ》を傳はりてこゝにくだれり ―一三二
導者と我とは粲《あざや》かなる世に歸らんため、このひそかなる路に入り、しばしの休《やすみ》をだにもとむることなく 一三三―一三五
わが一の圓き孔の口より天の負《お》ひゆく美しき物をうかゞふをうるにいたるまで、彼第一に我は第二に上《のぼ》りゆき 一三六―一三八
かくてこの處をいでぬ、再び諸※[#二の字点、1−2−22]の星をみんとて 一三九―一四一
[#改丁]
註
第一曲
ダンテ路を失ひて暗き林の中に迷ふ、會※[#二の字点、1−2−22]一丘上に光明を認め之に向ひて進む、されど豹、獅子、狼の出でゝ路を塞ぐにあひ再び林にかへらんとす、この時ウェルギリウスこれにあらはれて救ひの道を示し三界の歴程を勤め且つ自ら導者となりてまづ地獄、淨火をめぐらんと告ぐ
一―三
【正路】有徳の路
【半】詩人三十五歳の時、人生を七十と見做してその半にあたるをいふ(詩篇、九〇・一〇及びダンテの『コンヴィヴィオ』四・二三、八八以下參照)
ダンテの生れしは一二六五年なり、故に『神曲』示現の時は一三〇〇年聖金曜日の前夜にはじまる(地、二・一註參照)一三〇〇年はダンテがフィレンツェのプリオレとなりし年又ローマに有名なる大會式(ジュビレーオ)(地、一八・二九及び註參照)ありし年なり
【林】罪の路乃ち時黒なる娑婆世界
七―九
【幸】覺醒、理性の聲を聞き、覺めて救ひの路に就くにいたれること
一〇―一二
【睡り】罪の甘き夢に魁せられ我知らず光の路を失へるさま
一三―一五
【溪】即ち暗き林
【山】喜びの始めまた源なる幸の山(七八行)、罪の路は林の苦しみに導き有徳の路は山の喜びに導く
一六―一八
【直くみちびく】ヨハネ、一一・九に曰、人若し晝あるかば躓くことなしこの世の光を見るによりてなり
【遊星】太陽、當時遊星の一にかぞへられたればなり、太陽の光は神より出づる生命の光なり(ヨハネ、八・一二)
二二―二四
【人】破船の厄に遭へる人
二五―二七
【路】林の路、即ち罪の生涯を囘顧せるなり
二八―三〇
【低き足】坂路を上るが故に片足高く片足低し
三一―三三
【豹】肉慾の象徴、その皮斑紋ありて美しければなり
註釋者曰、豹、獅子、狼は肉慾、慢心、貪婪の三惡を表はし、エレミヤ、五・六に、林よりいづる獅子は彼等を殺し荒野の狼は彼等を滅ぼし豹は彼等の町々をねらふとあるに據れるなりと
三七―四五
【朝の始め】一三〇〇年聖金曜日の朝まだき
【星】白羊宮の星、太陽の白羊宮にあるは春の始め(三月下旬より四月下旬まで)なり
傳説に曰、天地の創造せられし時は春なり而して太陽が白羊宮に入りてその運行をはじめし日乃ち春分はキリストの懷胎並びに磔殺の日と相同じと
【美しき物】天體(地、三四・一三七參照)神天地を造り日月星辰に始めて運行を與へ給へる時白羊宮にありし太陽はこの天宮の中なる他の諸星と共に今同じ處にありて登れり
【望み】豹に勝つべき望み
四九―五〇
【多くの民】貪婪の禍ひ大なるをいふ
五八―六〇
【默す】光照らざる
六一―六三
【聲嗄る】久しく人と語らざる古人の靈の如く見えたり
六七―六九
【彼】ウェルギリウス(ヴィルジリオ)、有名なるラテン詩人(前七〇―一九年)、著書數卷あり、就中『アエネイス』最もあらはる
ウェルギリウスはホメロスと共に古來最大詩人の一に數へられ、中古特にいちじるしく歎美せられし詩人なり、しかしてダンテのあまねくその著作を愛讀しこれに精通せるは、この曲中ダンテ自らいへること及び『神曲』を通じてこの古詩人を引照せる甚だ多き事等によりてあきらかなり、『アエネイス』はその詩材よりいふもアエネアスの冥府めぐりイタリア建國の事業等ダンテ自身及びその詩に關係深きものゝみなればこの歌の作者を導者にえらべるはその當をえたりといふべし、『神曲』中のウェルギリウスは理性若しくは哲理の代表者なり
【ロムバルディア】イタリア北部の國名、ダンテの時代には今の所謂ロムバルディアより廣かりきといふ
【マントヴァ】ロムバルディアにある町、その地勢及び由來は地、二〇・五五以下に詳し
七〇―七二
【後れて】ウェルギリウスはユーリウス・カエサル(ジウリオ・チエーザレ)に後るゝこと二十九年にして生れカエサルの殺害せられしとき二十六歳なりき
おもふに七〇行の Sub Iulio(ユーリオの世)はカエサルの名の世に知られし時をも加へおしなべてかくいへるなるべし、カエサルが政權を掌握せるはウェルギリウスの誕生よりはるかに後の事なればなり
【アウグスト】アウグストゥス・オクタウィアヌス、ローマ皇帝(前六三―後一四年)
七三―七五
【イーリオン】トロイア。小アジアの海濱にありし町にて有名なるトロイア戰爭ありし處
トロイア王プリアモスの子パリス、スパルタ王メネラオスに客たりしがその妻ヘレネを奪ひて本國に歸り、これがためにトロイア戰爭なるもの起るにいたれるなり、戰ひ十年に亙りて城陷り兵火に罹りて燒く
【アンキーゼの義しき子】アエネアス、アンキセスとアプロディテの間に生る、トロイアの名將なり
ウェルギリウスの『アエネイス』はトロイア城陷落の後なるアエネアスの流落にはじまり、そのイタリアにいたりツルヌスを殺して建國の基を起すにをはる
八五―八七
【譽】『神曲』以前の作なる短詩すでに世に知らる(淨、二四・四九以下參照)
九一―九三
【他《ほか》の路】罪の恐るべきをさとれる者徳の生涯を心中に畫くといへども未だ全く罪の覊絆を脱せるにあらず徳に入るの準備成れるにあらねばたゞちに光明の山に登りて神恩に浴する能はず、まづ地獄を經て罪をはなれ淨火を經て穢れを淨めざるべからず
一〇〇―一〇二
【妻とする獸】貪婪に伴ふ罪惡
【獵犬】將來世に出でゝ物質上及び精神上よりその救ひとなるべき偉大の人物(恐らくは皇帝若しくは法王)
註釋者或ひはキリストの再來をいひ或ひは當時ヴェロナの明君なりしカン・グランデ・デルラ・スカーラの如き知名の士を擧ぐるもいづれも疑はし、思ふに捕捉し難きダンテの獵犬にしひて具體的な解釋を求めんとするは無益の業ならん
一〇三―一〇五
【フェルトロ】意義不明
一〇六―一〇八
【カムミルラ】ヴォルシ人の王メタブルの女なり、ツルヌスを助けてトロイア人と戰ひ、戰死す(『アエネイス』七・八〇三及び一一卷)
【エウリアーロ、ニソ】エウリアルス、ニスス共にトロイア人、友情を以て名高し、ヴォルシ人と戰ひ共に斃る(同上、九・一七九以下)
【ツルノ】ツルヌス、ルツルリア人の王、アエネアスと戰ひて死す(同上、一二卷)
【低きイタリア】古くラチオ(ラティウム)と稱しローマを含めるイタリアの一部、北方の高地に對し平野多きを以て低しといふ
一〇九―一一一
【嫉み】地獄の王ルチーフェロ(ルキフェル)の嫉み、惡魔人類の幸福をねたみ、禍ひの獸なる貪慾を世に放てるなり
一一二―一一四
【不朽の地】地獄
一一五―一一七
異本曰、汝はそこに望みなき叫びを聞き第二の死を呼び求なる古のなやめる魂をみるべし
【第二の死】魂肉を離るゝは第一の死、魂無に歸するは第二の死なり、地獄に罰をうくる魂苦しみのあまり己の滅び失せんことを求むるなり
【古の】ダンテ以前の死者を總括していへり
一一八―一二〇
時滿ちて天界に登るを得る望みあるが故に甘んじて淨めの苦しみをうくる淨火中の魂
一二一―一二三
【魂】ベアトリーチェ
一二四―一二六
【律法に背ける】神をあがむるの道をつくさゞりしをいふ(地、四・三八)
一三〇―一三二
【禍ひ】現世の
【大なる禍ひ】後世の
一三三―一三五
【聖ピエートロの門】淨火の門、キリスト鑰をピエートロに與へ(マタイ、一六・一九)、ピエートロはこれを天使に托して淨火の門を開閉せしむ(淨、九・一一七以下參照)
第二曲
既にしてダンテ自らかへりみてその力よく冥界をめぐるに足るや否やを疑ふ、ウェルギリウス乃ちこれに告ぐるに己がリムボを出でゝ曠野に來るに至れる由來を以てし、これを勵まして地獄にむかはしむ
一―三
【日は傾けり】一三〇〇年四月八日の夕暮
兩詩人の地獄にむかへるは一三〇〇年の聖金曜日なりしこと地、二一・一一二以下なるマラコダの言によりて明かなり、されどこの金曜日は何月何日に當りしや、或人は三月二十五日といひ或人は四月八日といふ、こゝにはムーア博士の説に從ひて後説を採れり、詳しくは博士の『神曲中の時に就て』(Moore, Time−Reference in the Divina Commedia)を見よ
四―六
ダンテ
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