て救われて行く筋道を、自分の事のように力瘤《ちからこぶ》を入れて読み続けた。ことに世の中の下積《したづみ》になった温柔《おとな》しい人間が、思いがけない幸運に出会ったり、お上《かみ》から御|褒美《ほうび》を戴いたりする場面にぶつかると彼は、人に気付かれるのを恐れるかのように、ソッと眼鏡を拭いながら、二度も三度もくり返して読み直しては、人知れず溜息をするのであった。
 ところが、そのうちにツイ二三日前のこと、フト眼に付いた社会面の大標題《おおみだし》を、何心なく見直してみると、彼は思わずドキンとして、老眼鏡をかけ直した。
 就職運動に逐《お》われているうちに、忘れるともなく忘れていたけれども、モウ、とっくの昔に捕まっているものとばかり思っていた一年前のK村の強盗殺人犯が二人とも、まだ捕まっていないばかりでなく、益々兇暴を逞しくしているのであった。
 倉川家の幸福と共に、彼の運命までも蹂躙《じゅうりん》し去った二人組の黒装束は、若い倉川男爵が、涙のうちに大枚三千円の懸賞金を投出《なげだ》して、復讐を誓ったにも拘わらず、その後三回までも東京郊外を荒しまわって、警視庁の無能を思う存分に嘲笑したのであった。そのあげく暫く消息を絶っていたが、この頃になって、ズット飛んで京大阪地方に河岸《かし》を変えたらしい。やはり閑静な住宅地が専門らしく、既に二軒ほど、おなじ二人|連《づれ》の黒装束に襲われていて、一軒の家《うち》では、後家さんが絞殺され、モウ一軒の家《うち》では、留守番の男が前額を斬割られていた。
 新聞は又も思い出したように当局の無能を鳴らし初めていた。そうして一年前のK村の惨劇を振出しにした彼等の戦慄すべき兇暴な手口を、殆んど称讃せむばかりに書立てているのであった。
 睦田老人は、殆んど新聞の半面を蔽うているその長々しい大記事を読んでいるうちに、モウ、息も吐《つ》かれないくらいタタキ付けられてしまった。……モウ沢山だ……モウ沢山だ……と叫んで逃げ出したい気持になりながらも、息も吐《つ》かれぬ心苦しさに惹き付けられて読んでいる彼を……これでもか……これでもか……と押え付けるかのように、峻烈を極めた筆付きで、今までの事件の記録が繰返されてあった。そうして最後に、これ等の数件の犯罪は、その手がかりの絶無なところから、逃走の神速な点に到るまで、在来の日本の警察能力をはるかに卓越し
前へ 次へ
全10ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング