わったりしている子供たちの姿ばかりになってしまった。
 彼はそうした幻影を見まいとしてシッカリと眼を閉じた。すると最前から溜まっていた生温《なまぬる》い泪《なみだ》がポタポタと火鉢の灰の中に落ちた。その一粒が消えかかった炭火の上に落ちたらしくチューチューと音を立てたが、その音を聞いているうちに又も新しい涙が湧出《わきだ》して来るのを、彼はドウする事も出来なかった。
 そんな事を考えまわしているうちにいつの間にか時間が経ったらしい。彼の背後の柱時計が夢のように一時を打つと間もなく、非常線に出ていた同僚の二三名がバタバタと帰って来た。
「……ああ……ねむいねむい……」
「いくら云うたて新米の署長は駄目じゃよ。第一非常線からして手遅れじゃないか。青年会なぞ出したって何の足しになるものか」
「まあそう云うなよ。お蔭で無駄骨折が助かるじゃないか」
「指紋もないそうですね」
「ウン、今頃は犯人《やつ》等、千里向うで昼寝してケツカルじゃろ。ハハン。うまくやりおった」
 そう云ううちに古参の彼が居ることに気が付くと、慌てて敬礼をしいしい帯剣を外したが、そのまま各自《めいめい》の椅子に就いてヒッソリと口を噤《つぐ》んでしまった。彼等は睦田巡査が最前署長から叱られた事を知っているらしかった。
 睦田巡査は、もう現場の模様を聞いて見る勇気さえ出なかった。ただ、無能の標本みたように、火鉢のふちに曝《さら》し物にされている自分自身を顧みて、力なくうなだれるばかりであった。

 それから、ちょうど満一年経った。
 睦田巡査は予想通り年度代りで首になったが、それでも貰えるものだけは貰ったので、それをたよりに色々と縁故を辿《たど》って運動した結果、二個月ばかり前から市外の製作工場の門衛に雇われていた。むろん俸給は安いし、夜勤もあるにはあったが、しかし殆んど門番と受付を兼ねたような単純な仕事であった上に、巡廻の区域が非常に狭かったので、肥満した睦田老人にとっては、却《かえ》って極楽のような気がしたのであった。
 彼は毎日正午の休憩時間になると、会社の事務室に来て、新聞の続きものを読むのが、何よりの楽しみになった。ビクビクと縮こまったまんま、何の華やかさもない生涯を送って来た彼は、その小説や講談の中に出て来る気の毒な、憐れな運命の持主に満腔《まんこう》の同情を寄せると同時に、そんな人々が正義の力によっ
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