た》は謡曲がお嫌いですかと聞くと、誰でも先ず第一に、私には解かりませんからと云う。成る程、これも無理もなかろう。謡曲の中《うち》でも比較的芝居がかりに出来ている鉢《はち》の木《き》、安宅《あたか》等ですら、処々《しょしょ》三四行|乃至《ないし》十四行|宛《ずつ》要領の得悪《えにく》い文句が挿まっていて、習う本人のみならず黒人《くろうと》の先生方でも何だか解からぬまま唸《うな》っているのが多く、ましてその他の曲に到っては全部雑巾のように古びた黒い寄せ文句で出来上っているのだから、局外者が聞いて訳が解かりかねて面白くないのも尤《もっと》もな事と思われる。
けれ共何とかして謡曲の御利益を納得させて、あわよくば一曲御所望を云わせてやろうと思う甲種熱心家が「でも高尚ではありませんか」と切り込むと、その返事は大抵「でもあの声が……」と来る。ここに到って並大抵の天狗《てんぐ》様ならば一遍にギャフンと参いって、それなり生唾を飲み込んで我慢するところであるが、併《しか》し慢性の超弩級大天狗になるとこれ位の逆撃は然《さ》して痛痒《つうよう》を感じない。却《かえっ》てこれを怪《け》しからぬという面《おも》
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