い同志を吹き飛ばす位で御座いました。そうしてその溜め息が終るのを待って、不賛成者の起立を要望しました裁判長の声も、再び起った歎息の渦巻きによって答えられるばかりで御座いました。
 私達兄弟はそのような緊張した空気の中を相並んで裁判長の前に進み出まして、運命の切迫にわななく指で、受験の順番をきめる籤《くじ》を引きましたが、第一番の籤はどうした廻り合わせか弟に当りましたので私はガッカリしてしまいました。……赤ん坊は今スヤスヤと眠っているのですから、ソッと抱き取れば、わからないかも知れないのです。そうして丁度その次に私が抱き取る時に眼を醒ましてヒーヒー泣き出すかも知れないと思ったからです。……私はその時にこの裁判法の不公平を主張しなかった事を心から後悔しましたが、もう間に合いませんので、全身の血がカーッと頭に上って来るのをジッと我慢しながら、弟のする事を眼も離さずに見ておりました。
 ところが結果は案外な事になってしまったのです。案外にも意外にも、私は自分の顎が外れたのに気が付かなかった程の、驚き呆れた結論があらわれて来たのです。
 神ならぬ弟のマチラ[#「マチラ」は太字]は、そんな事になろうとは夢にも知らずに、第一の籤を引いたのでスッカリ自信が出来たらしく、満場の息苦しい注目の裡に大得意でレミヤ[#「レミヤ」は太字]の傍に進み寄って、スヤスヤと眠っている赤ん坊を出来るだけソーッと抱き取ろうとしましたが、弟の手が身体《からだ》に触れたか触れないかと思ううちに赤ん坊は、早くも眼を醒ましたものと見えまして、身体を弓のように反《そ》りかえらせながら火の付くように泣き出したのです。
「オヤア。オヤア。オニャオニャオニャ」……と……。その時の弟の顔は何と形容したらよろしいでしょうか。魂がパンクした表情とはあのような顔付きを云うのでしょうか。レミヤ[#「レミヤ」は太字]の膝の上に赤ん坊を取り落したまま、射抜かれた飛行船のようにフラフラと回転したと思うと、バッタリと床の上にヘタバリたおれてしまいました。
 満場のドヨメキの中に弟の身体が運び出されますと、私はもう嬉し泣きの涙で向うが見えなくなってしまいました。その涙を払う間もなく無我夢中でレミヤ[#「レミヤ」は太字]に飛び付いて、人眼も恥じずキッス[#「キッス」は太字]の雨を降らせますと、又もスヤスヤと眠りかけている赤ん坊を抱き上げて、シッカリと抱き締めました。
「サアサア、お父さんだよお父さんだよ」
 と揺すり上げながら、思い切り頬ずりをしようとしましたが、その私のチョッキ[#「チョッキ」は太字]の上を、思いもかけぬ力強さでメチャクチャに蹴立てた赤ん坊は、又も焦げ付くように泣き藻掻《もが》き初めました。
「ウギャー。ウギャー。オヤア。オヤア。ヒヤアヒヤアヒヤア。フニャーフニャーフニャー」
 私は赤ん坊を抱えたまま、棒のように立ち竦《すく》んでしまいました。余りの事に途方に暮れながら、割れるような法廷の動揺の中にレミヤ[#「レミヤ」は太字]の顔を見返りますと……これは又、どうした事でしょう……。レミヤ[#「レミヤ」は太字]は法廷の床の上に転び落ちて、美しい顔を引き歪《ゆが》めながら、虚空を掴んで悶絶しているでは御座いませんか。しかも、それと同時に背後の方で、
「……ああ……神様よ……おゆるしを……」
 という奇妙な声が聞こえましたので、思わずその方を振り向いてみますと、傍聴席のズット向うの壁際で、一人の黒い服を着た老人が失神しかけているのを、左右に座っている人が支え止めている様子です。……そうしてその顔をよくよく見ますと、それはレミヤ[#「レミヤ」は太字]が日曜|毎《ごと》に参詣していた天主教会の僧正様で、私のために天祐を祈ってくれたアノ老牧師さんではありませんか……。
 ……ああ……。
 ……何という、恐ろしい天の配剤で御座いましょう。……何という適切な自然の解決で御座いましょう。……そうして又、何という名裁判で御座いましょう。
 ……レミヤ[#「レミヤ」は太字]は日曜も休んでいなかったので御座います……。
 ……私は抱いていた赤ん坊をどこへ取り落したか全く記憶致しません。ただ夢うつつのように法廷をよろめき出て、最前這入って来た通りの道を歩いて、まっ直ぐに先生の処に来たように思うだけで御座います。

       (8)[#「(8)」は縦中横]

 ……イヤもう……こんな恐ろしい、馬鹿馬鹿しい眼に会おうとは、今日が今日まで夢にも想像していませんでした。
 ……私はもう、失恋していいのか悪いのか、わからなくなってしまいました。……これが失恋というものか、どうなのかすら自分で解からないような、奇妙キテレツな気持ちになってしまいました。……ですからこのような秘密を打ち明けて先生の御判断を仰《あ》おぐの
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