何にも好奇心に馳られたらしく身を乗り出した。すると青年も、何かしら急に気まりが悪くなったらしく、ハンカチ[#「ハンカチ」は太字]で顔を拭いまわしながらうなずいた。
「そうなんです……私は、私が関係しておりました長い間の訴訟事件が、今すこし前にヤットの事で確定すると同時に顎を外してしまったのです。……否……私ばかりではありません。恐らく世界中のどなたでも、私と同様の運命に立たれましたならば、顎を外さずにはいられないであろうと思われる出来事に出合ったので御座います」
「ハハア――ッ」
 とドクトル[#「ドクトル」は太字]はいよいよ面喰らった顔になった。小さな眼をパチパチさせながら身を乗り出して、椅子の端からズリ落ちそうになった。
「ヘエエエッ。それはイヨイヨ奇妙なお話ですナ。法廷といえば教会と同様に、この地上に於ける最も厳粛な、静かな処であるべき筈ですが……そんナ処で顎を外されるような場合があり得ますかナ」
「ありますとも……」
 と青年は断然たる口調で答えた。
「……この私が何よりの証拠です。……もっともこんな事は滅多にあるものではないと思いますが……」
「なるほど……それは後学のために是非ともお伺いしたいものですが……治療上の参考になるかも知れませんから……」
 青年は老ドクトル[#「ドクトル」は太字]からこう云われると、又も耳のつけ根まで真赤になって、さしうつむいてしまった。そうして上眼づかいにチラチラとドクトル[#「ドクトル」は太字]の顔を見上げたが、やがて悲し気に眼をしばたたいた。
「ハイ。私も実はこの事を先生にお話ししたいのです。そうして適当な御判断を仰《あお》ぎたいのですが……しかし……私がこの事を先生にお話した事が世間に洩れますと非常に困るのです。ハルスカイン[#「ハルスカイン」は太字]家……彼女の家と、イグノラン[#「イグノラン」は太字]家……私の家の間に絡まるお恥かしい秘密の真相が、私の口から他に洩れた事がわかりますと……」
「イヤ……それは御心配御無用です。断じて御無用です」
 と云いながら老ドクトル[#「ドクトル」は太字]は、いつの間にか昂奮してしまったらしく自烈度《じれった》そうに拳固を固めて両膝をトントンとたたいた。
「その御心配なら絶対に御無用に願いたいものです。患家の秘密を無暗《むやみ》に他所《よそ》で饒舌《しゃべ》るようでは医師の商売は
前へ 次へ
全27ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング