いですよ。ワッハッハッハッ」
それを見ると青年は、もう不思議を通り越して気味が悪いという顔になった。そうして魘《おび》えたように唇をわななかしつつ切れ切れに云った。
「私は……あのお言葉を聞きました時に……それではもう……私の身の上はもとより……ツイ今さっき私の身の上に起った……前代未聞の怪事件までも御存じなのかと思って、胸に釘を打たれたように思ったのですが……私は、お言葉の通りの大馬鹿野郎の大間抜けだったのですから……」
「アハハハハ。イヤ。それはお気の毒でしたね。ハッハッハッ。私は何の気もなく云ったのですが……実を申しますとアレは私が顎をはめる秘伝になっておりますのでネ」
「ヘエ……患者をお叱りになるのが、顎をはめる秘伝……」
「そうなんです。要するに何でもないのですよ。すべて顎の外れた患者を癒《なお》すのに、患者が「今顎をはめられるナ」と思うと、思わず顎の筋肉を緊張させるものなのです。そうするとナカナカうまく這入りませんので、何かしら患者をビックリさせるような事を云って、顎の事を忘れさせた一瞬間にハッと気合いをかけて入れてしまうのです。これは尾籠《びろう》なお話ですが脱腸を押し込む時でも同様で、患者にお尻の事を気にかけるなと云っても、指が脱腸に触れると、ドウしてもお尻の穴の周囲に在る括約筋を引き締めるのです。ですから、トンチンカンなお天気の話なぞをしかけて、患者が変に思いながら窓の外を見たりしているうちに押し込むと、他愛もなくツルリと這入るのです。これは永年の経験から来た秘伝なので……決してあなたを罵倒した訳ではありませんから……どうぞ気を悪くなさらないで……」
「イヤ……そんな訳ではありませんが……」
と云いながら青年は如何にも[#「如何にも」は底本では「如何に」]感心したらしく長い、ふるえた深呼吸をした。
「ヘエ――……成る程……それならば不思議は御座いませぬが……実は私が顎を外しましたのはツイこの向うの地方裁判所の法廷なので、しかもタッタ今|先刻《さっき》の事でしたから、もう、それがお耳に這入ったのかと思ってビックリしたのですが……」
「ヘエーッ」
と今度はドクトル[#「ドクトル」は太字]がアベコベにビックリさせられたらしくグッと唾液《つば》を嚥み込んで眼を丸くした。
「……あの裁判所で……しかも法廷で顎を外されたのですか……」
といううちに、如
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