はマセ過ぎた散歩であったが、それでも山好きの彼にとっては、この上もない楽しみに違いなかった。彼はそうした散歩のお蔭で、そこいらの山の中の小径《こみち》という小径を一本残らず記憶《おぼ》え込んでしまっていた。どこにはアケビの蔓《つる》があって、どこには山の芋《いも》が埋まっている。人間の顔によく似た大岩がどこの藪《やぶ》の中に在って、二股《ふたまた》になった幹の間から桜の木を生やした大|榎《えのき》はどこの池の縁に立っているという事まで一々知っていたのは恐らく村中で彼一人であったろう。
 ところで彼は、そんな山歩きの途中で、雑木林の中なんぞに、思いがけない空地を発見する事がよくあった。それは大抵、一|反歩《たんぶ》か二反歩ぐらいの広さの四角い草原で、多分屋敷か、畠《はたけ》の跡だろうと思われる平地であったが、立木や何かに蔽《おお》われているために幾度も幾度も近まわりをウロ付きながら、永い事気付かずにいるような空地であった。そのまん中に立ちながら、そこいら中をキョロキョロ見まわしていると、山という山、丘という丘が、どこまでもシイーンと重なり合っていて、彼を取囲《とりかこ》む立木の一本一本が
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