を眩《くら》まして荷物を陸揚して、数十頭の駄馬に負わせた。陸路から伊万里《いまり》、嬉野《うれしの》を抜ける山道づたいに辛苦艱難をして長崎に這入ると、すぐに仲間の抜荷《ぬけに》買を呼集め、それからそれへと右から左に荷を捌《さば》かせて、忽ちの中《うち》に儲けた数万両を、やはり尽《ことごと》く為替にして大阪の三輪鶴《みわづる》に送り付けた。

 千六のこうした仕事は、その当時としては実に思い切った、電光石火的なスピード・アップを以て行われたのであった。
 果して、そのあとから正直な五島、神之浦《こうのうら》の漁民たちが海岸にコンナ荷物が棄ててありましたと云って、夥しい羅紗や宝石の荷を船に積んで奉行所へ届出たというので長崎中の大評判になった。これこそ抜荷の取引の残りに相違ないというので与力、同心の眼が急に光り出した。結局、五島の漁夫《りょうし》達が見たという○に福の字の旗印が問題になって、福昌号に嫌疑がかかって行ったが、その時分には千六は最早《もはや》長崎に居なかった。仲間の抜荷買連中と共に逸早《いちはや》く旅支度をして豊後国、日田《ひた》の天領に入込み、人の余り知らない山奥の川底《かわそこ》という温泉に涵《ひた》っていた。
 千六はそれから仲間に別れて筑前の武蔵《むさし》、別府、道後と温泉まわりを初めた。たとい金丸長者の死に損いが、如何に躍起となったにしたところが、とても大阪三輪鶴の千両箱を三十も一所《いっしょ》に積みは得《え》せまい。その上に銀之丞殿の蓄えまで投げ出したらば、松本楼の屋台骨を引抜くくらい何でもあるまい。もし又、万一、それでも満月が自分を嫌うならば、銀之丞様に加勢して、満月を金縛りにして銀之丞様に差出しても惜しい事はない。去年三月十五日の怨恨《うらみ》さえ晴らせば……男の意地というものが、決してオモチャにならぬ事が、思い上がった売女《ばいた》めに解かりさえすれば、ほかに思いおく事はない。おのれやれ万一思い通りになったらば、三日と傍へは寄せ附けずに、天の橋立の赤前垂《あかまえだれ》にでもタタキ売って、生恥《いきはじ》を晒《さら》させてくれようものを……という大阪町人に似合わぬズッパリとした決心を最初からきめていたのであった。

 京都に着いても満月の事は色にも口にも出さず。ひたすらに相手の行衛《ゆくえ》を心探しにしていた銀之丞、千六の二人は期せずして祇園
前へ 次へ
全23ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング