名君忠之
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)延寿国資《えんじゅくにすけ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)黒田|忠之《ただゆき》が
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]した。
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一
この話の中に活躍する延寿国資《えんじゅくにすけ》と、金剛兵衛盛高《こんごうへえもりたか》の二銘刀は東京の愛剣家、杉山其日庵氏の秘蔵となって現存している。従ってこの話は、黒田藩に起った事実を脚色したものであるが、しかし人名、町名と時代は差障《さしさわ》りがあるから仮作にしておいた。悪《あし》からず諒恕《りょうじょ》して頂きたい。
「不埒《ふらち》な奴……すぐに与九郎|奴《め》の家禄を取上げて追放せい。薩州の家来になれと言うて国境から敲《たた》き放せ。よいか。申付けたぞ」
数本の桜の大樹が、美事に返咲きしている奥庭の広縁に、筑前藩主、黒田|忠之《ただゆき》が丹前《たんぜん》、庭下駄のまま腰を掛けていた。同じ縁側の遥か下手に平伏している大目付役、尾藤内記《びとうないき》の胡麻塩《ごましお》頭を睨み付けていた。側女《そばめ》を連れて散歩に出かけるところらしかった。
裃《かみしも》姿の尾藤内記は、素長《すなが》い顔を真青にしたまま忠之の眼の色を仰ぎ見た。そうして前よりも一層低く頭を板張りに近付けた。
「ハハッ。御意《ぎょい》には御座りまするが……御言葉を返すは、恐れ多うは御座りまするが、何卒《なにとぞ》、格別の御憐憫をもちましてお眼こぼしの程……薩藩への聞こえも如何《いかが》かと存じますれば……」
「……ナニッ……何と言う……」
忠之の両の拳《こぶし》が黄八丈《きはちじょう》の膝の上でピリピリと戦《おのの》いた。庭先に立並んでいた側女たちがハッと顔を見合わせた。忠之が癇癖を起すと、アトで両の拳を自分で開き得ないで、女共に指を揉み柔らげさせて開かせる。それ程に烈しい癇癖が今起りかけている事を察したからであった。
「タ……タワケ奴がッ。島津が何とした。他藩の武士を断りもなく恩寵して、晴れがましく褒美《ほうび》なんどと……余を踏み付けに致したも同然じゃ。仕儀によっては与九郎奴を、肥後、薩摩の境い目まで引っ立てて討ち放せ。その趣意を捨札《すてふだ》にして、あすこに晒首《さらしくび》にして参れ。他藩主の恩賞なんどを無作《むさ》と懐中に入れるような奴は謀反、裏切者と同然の奴じゃ。天亀、天正の昔も今と同じ事じゃ。わかったか」
「ハハ。一々|御尤《ごもっと》も……」
「肥後殿も悪《あ》しゅうは計《はか》ろうまい。薩藩とは犬と猿同然の仲じゃけにの……即刻に取計《とりはか》らえ……」
「ハハ。追放……追放致しまする。追放……あり難き仕合わせ……」
「ウム。塙代《ばんだい》与九郎奴は切腹も許さぬぞ。万一切腹しおったらその方の落度ぞ。不埒な奴じゃ。黒田武士の名折れじゃ。屹度《きっと》申付けて向後《こうご》の見せしめにせい。心得たか。……立てッ……」
戦国武士の血を多分に稟《う》け継いでいる忠之は、芥屋《けや》石の沓脱台《くつぬぎ》に庭下駄を踏み鳴らして癇を昂《たか》ぶらせた。成行によっては薩州と一出入り仕兼ねまじき決心が、その切れ上った眥《まなじり》に見えた。お庭に立並んでいた寵妾お秀《ひで》の方を初め五六人の腰元が固唾《かたず》をのんで立ち竦《すく》んだ。
とたんに御本丸から吹きおろす大体|颪《ねおろし》に、返咲きの桜が真白く、お庭一面に散乱した。言い知れぬ殺気が四隣《あたり》に満ち満ちた。
この上は取做《とりな》せば取做すほど語気が烈しくなる主君の気象を知り抜いている大目付役、尾藤内記は、慌しくスルスルと退《の》いた。すぐにも下城しそうな足取りで、お局《つぼね》を出たが、しかし、お局外の長廊下を大書院へ近づくうちに次第次第に歩度が弛《ゆる》んで、うなだれて、両腕を組んだ。思案に暮れる体《てい》でシオシオとお屏風の間《ま》まで来た。
「何事で御座った。大目付殿……」
お納戸頭《なんどがしら》の淵《ふち》金右衛門という老人が待兼ねておったように大屏風の蔭から立現《たちあら》われた。
「おお。御老人……」
と内記は助船《たすけぶね》に出会うたように顔を上げた。ホッと溜息をした。
「よいところへ……ちょっとこちらへ御足労を……少々内談が御座る。折入ってな……」
「内談とは……」
「御老体のお知恵が拝借したい」
「これは改まった……御貴殿の御分別は城内一と……ハハ……追従《ついしょう》では御座らぬ。それに上越《うえこ》す知恵なぞはトテモ拙者に……ハハ……」
「仰せられな。コレコレ坊主、茶を持て……」
二人は宿直《とのい》の間の畳廊下へ向い合った。百舌鳥《もず》の声が喧《やかま》しい程城内に交錯している。
お坊主が二人して座布団と煎茶を捧げ持って来た。淵老人が扇を膝に突いた。
「して何事で御座る」
尾藤内記は又腕を組んだ。
「余の儀でも御座らぬ。御承知の塙代与九郎|昌秋《まさあき》のう」
「ハハ……あの薩州拝みの……」
「シッ……その事じゃ。あの増長者奴《のぼせめ》が、一昨年の夏、あの宗像《むなかた》大島の島司《とうし》になっているうちに、朝鮮通いの薩州藩の難船を助けて、船|繕《つくろ》いをさせた上に、病人どもを手厚う介抱して帰らせたという……な……」
「左様左様《さようさよう》。その船は実をいうと禁断のオロシャ通いで、表向きに世話すると八釜《やかま》しいげなが……」
「ソレじゃ。そこでその謝礼とあって今年の春の事、薩州から内密に大島の塙代の家へ船を廻して、莫大もない金銀と、延寿国資の銘刀と、薩摩焼御紋入りのギヤマンのお茶器なんどいう大層な物を、御使者の手から直々《じきじき》に塙代与九郎へ賜わったという話な……御存じじゃろうが」
「存じませいでか。与九郎はこれが大自慢でチト性根が狂うとるという話も存じておりまする。つまりその薩州小判で、蓮池の自宅の奥に数寄《すき》を凝《こ》らいた茶室を造って、お八代に七代とかいう姉妹の遊女を知行所の娘と佯《いつわ》って、妾《めかけ》にして引籠もり、菖蒲《しょうぶ》のお節句にも病気と称して殿の御機嫌を伺わなんだ。馬術の門弟もちりぢりになって散々の体裁《ていたらく》じゃ。のみならず出会う人|毎《ごと》に、薩州は大藩じゃ。違うたもんじゃ違うたもんじゃとギヤマン茶碗や、延寿の刀や、姉妹の妾を見せびらかして吹聴致しているので皆、顔を背向《そむ》けている。あのような奴は藩の恥辱じゃから討って棄てようか……なぞと、部屋住みの若い者の中にはイキリ立つ者も在るげで御座るが、何にせいかの与九郎はモウ白髪頭ではあるが、一刀流の自信の者じゃで、皆二の足を踏んでいる……というモッパラの評判で御座るてや」
「フーム。よう御存じじゃのう。塙代がソレ程のタワケ者とは知らなんだ。遊女を妾にしている事や、家中の若い者の腹構えがそれ程とは夢にも……」
「アハハハ。左様《さよう》な立入った詮議は大目付殿のお耳には却《かえっ》て這入らぬものじゃでのう。……して今日のお召はその事で……」
「まったくその事で御座る。番座限《ここまで》のお話で御座るが……」
「心得ました。八幡口外は仕《つかまつ》らぬ」
「忝《かたじけ》のう御座る。おおかたお側の女《はした》どもの噂からお耳に入ったことと思うが、殿の仰せには、薩藩から余に一言の会釈もせいで、黒田藩士に直々《じきじき》の恩賞沙汰は、この忠之を眼中に置かぬ島津の無礼じゃ。又、塙代奴が余の許しも受けいで、無作《むさ》と他藩の恩賞を受けるとは不埒千万。不得心《ふとくしん》この上もない奴じゃ。棄ておいては当藩の示しにならぬ。家禄を召上げて追放せい。切腹も許さぬ……という厳しい御沙汰じゃが……」
「それは殿のお言葉が、恐れながら順当で御座ろう。とやかく申しても当、上様は御名君のう。天晴《あっぱ》れな御意……申分御座らぬ……」
尾藤内記は唖然となった。長い顔を一層長くした。玄翁《げんのう》で打っても潰れそうにない淵老人の頑固|面《づら》を凝視した。
二
「……これは如何《いかが》なこと……御老人までがその連れでは拙者、立つ瀬が御座らぬ。塙代与九郎の家は三百五十石、馬廻《うままわ》りの小禄とは申せ、先代|与五兵衛尉《よごへいのじょう》が、禁裡馬術の名誉以来、当藩馬術の指南番として、太刀折紙《たちおりがみ》の礼を許されている大組格《おおくみかく》の名家じゃ。取潰すとあれば親類縁者が一騒動起すであろう」
「イヤ。大騒動を起させるが宜《よ》う御座ろう。却《かえっ》て見せしめになりましょうぞ」
「いかなこと。殿の御意もそこで御座る」
「さればこそ。結構な御意……我君は御名君。老人、胸がスウーッと致した。早々与九郎を追放されませい」
「ささ。それが左様《さよう》手軽には参らぬ。与九郎奴の追放は薩藩への面当《つらあて》にも相成るでな」
「イヨイヨ面白いでは御座らぬか。この頃のように泰平が続いては自然お納戸の算盤《そろばん》が立ち兼ねて参りまする。ドサクサ紛れに今二三十万石、どこからか切取らねばこのお城の馬糧《かいば》に足らぬ。手柄があっても加増も出来ぬとあれば、当藩士の意気組は腐るばっかり。武芸|出精《しゅっせい》の張合が御座らぬ。主君の御癇癖も昂《たか》まるばっかり……取潰し結構。弓矢出入り尚更《なおさら》結構……塙代与九郎を槍玉に挙げて、薩州のオロシャ交易を発《あば》き立てたなら、関ヶ原以来睨まれている島津の百万石じゃ。九州一円が引っくり返るような騒動になろうやら知れぬ。そうなったら島津の取潰し役は差詰め肥後で、肥後の後詰は筑前じゃ。主君《との》の御本心もそこに存する事必定じゃ。どっちに転んでも損は無い。……この老人の算盤は、文禄、慶長の生残りでな。チィット手荒いかも知れぬが……ハッハッ……」
尾藤内記は苦り切って差しうつむいた。独り言のように溜息まじりにつぶやいた。
「それが左様参れば面白いがのう。ここに一つ、面白うない事が御座るて……」
「フーム。塙代与九郎奴は大目付殿の御|縁辺《えんへん》でも御座りまするかの……言葉が過ぎたら御免下されいじゃが」
「イヤイヤ。縁辺なら尚更厳しゅう取計らわねばならぬ役目柄じゃが」
「赤面の至り……では何か公辺の仔細でも……」
「……それじゃ……それそれ。先《ま》ずお耳を貸されい。の……これは又してもお納戸金をせびるのでは御座らぬが、この頃の手前役柄の入費が尋常でない事は、最早《もはや》お察しで御座ろうの……」
「察しませぬでか。不審千万に存じておりまする」
「御不審御尤も……実は江戸からチラチラと隠密が入込んでおりまする」
「ゲエッ……早や来ておりまするか」
「シイッ……黒封印(極秘密)で御座るぞ。……主君《との》の御気象が、大公儀へは余程、大袈裟に聞こえていると見えてのう。この程、大阪乞食の傀儡師《くぐつまわし》や江戸のヨカヨカ飴屋、越後|方言《より》の蚊帳《かちょう》売りなぞに変化《へんげ》して、大公儀の隠密が入込みおる。城内の様子を探りおる……という目明し共の取沙汰じゃ。コチラも抜からず足を付けて見張らせている。イザとなれば一人洩らさず大濠《おおほり》へ溺殺《ふしづけ》にする手配りを致しているがのう……油断も隙もならぬ。名君、勇君とあれば、御連枝《ごれんし》でも構わず取潰すが、三代以後の大公儀の目安(方針)らしい。尤も島津は太閤様以来|栄螺《さざえ》の蓋を固めて、指一本指させぬ天険に隠れておるけに、徳川も諦めておろう。……されば九州で危いのはまず黒田と細川(熊本)であろう……と備後《びんご》殿(栗山)も美作《みまさか》殿(黒田)も吾儕《われら》に仰せ聞けられたでのう。そのような折柄に、左様な申立てで塙代奴を取潰いて、薩州と事を構えたならば却って
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