な。ハハ。福岡を去るのが、それ程に名残り惜しいか。フフ。小供じゃのう。四書五経の素読は済んでも武士の意気地は解らぬと見える。ハハ」
「……………」
「……コレ……祖父の命令《いいつけ》じゃ。立たぬか。伯父様や伯母様方に御暇《おいとま》乞いをせぬか。今生《こんじょう》のお別れをせぬか。万一この縺《もつ》れによって、黒田と島津の手切れにも相成れば弓矢の間にお眼にかかるかも知れぬと、今のうちに御挨拶をしておかぬか、ハッハッハッ。立て立て……。サッ……立ていッ……」
 大力の昌秋に引っ立てられて、与一はバッタリと横倒しになりながら片手を突いた。恨めしげに祖父の顔を見上げたが、唇をキッと噛むと、ムックリと起き直って、手強く祖父の手を振りほどいた。突《つ》と立上ってバラバラとお縁側から庭先へ飛び降りた。肩上の付いた紋服、小倉の馬乗袴《うまのりばかま》、小さな白足袋が、山茶花《さざんか》の植込みの間に消え込んだ。
「コレッ。与一どこへ行く」
 と祖父の昌秋が、縁側に走り出た時、与一はもう、足袋|跣足《はだし》のまま西村家裏手の厩《うまや》へ駈け込んでいた。
「ヤレ坊様《ぼんさま》……あぶない……」

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