いたが、外へ出て行こうとする私の顔を見ると三人が三人とも一種の怯《おび》えたような顔をして見送った。そうして扉《ドア》の把手《ハンドル》に手をかけると三人が三人とも恐しそうに中腰になりかけたが、直ぐに又腰を卸《おろ》した。妙な奴だと思ったが間もなくその怯《おび》えている理由が判然《わか》った。
 樫の木らしい重たい玄関の扉《ドア》を内側からソーッと開くと、忽ち怒号の声が外から飛込んで来た。
 最前の巨大な印度人が扉《ドア》を背にして突立っている。その前の四五歩ばかり隔った濡れたタタキの上に、背広服にレインコートの壮漢が五六人こっちを向いて立ちはだかっている。その中央に仁王立になっている無帽の巨漢は太い黒塗のステッキを右手に構えている。一目でわかる暴力団員である。近頃流行のエロ退治で、この家を脅迫に来たものに違いない。
 印度人は私を振返る余裕もないらしい。右手に小さな銀色のピストルを持ち、左手に分厚い札束を抓《つま》んで軽く上下に振り動かしている。その頭の上の真暗い空間からは、銀色の小雨が依然として引っきりなしに降り注いで、場面を一層物凄くしている。
 暴力団の中央の無帽の巨漢がステッキを左手に持ち換えた。右手を上衣のポケットに突込みながら怒鳴った。
「天に代って貴様等を誅戮《ちゅうりく》に来たんだ。日印××なぞといって銀座街頭で南洋女の人肉売買をしているんだ。ちゃんとネタが上っているんだぞ」
 それは真に怒髪《どはつ》天を衝《つ》くといった形相だった。
 しかしこれに反して印度人の態度は見上げたものだった。よしんばそれが卑怯、無残な伯父の変装であるにしても、私は今更に伯父の性格を見直さなければならないかな……と思ったほど堂々たるものがあった。六人もの生命《いのち》知らずの壮漢を向うに廻しながら、鬚《ひげ》だらけの横頬で微笑しているらしかった。
「ヘヘヘ。大きな声はやめて下さい。貴方がたのお世話で商売しておりません」
 ステッキの巨漢が怒りのためにサッと青くなった。ほかの五人もその背後《うしろ》からジリジリと詰め寄った。
「ナ……何だっ。貴様はこの家の主人か」
「主人ではありませぬ、印度の魔法使いです」
「魔法使い……?……」
「そうです……わたしの指が触《さ》わると何もかもお金になるのです。お金にならないものは皆、血になるのです。ヘヘヘ……」
「……………………」
 スッカリ気を呑まれたらしく生命《いのち》知らずの連中が六人とも顔を見交《みかわ》して眼を白黒さした。この印度人が尋常の人間でない事を感付いたらしい。私はイヨイヨ伯父に違いないと思った。スッカリ感心してしまった。
「……サア……どうです。一体いくら欲しいのですか。君等は……」
「……サ……三千円出せ」
「アハハハ。そんなに出せませぬ。今ここに八百五十円あります」
「畜生……そんな目腐《めくさ》れ金《がね》で俺達が帰れると思うか」
「ヘヘヘ。ここはビルデングの奥です。わかりましたか。ここはビルデングの奥ですよ。ピストルを撃っても往来までは聞えません。どんな取引でも出来ます。サア……お金か……血か……どちらがいいですか」
「血だッ……」
 と叫ぶと同時にステッキを提げた巨漢が右のポケットから黒い拳銃《ピストル》を取出した。
 その一|刹那《せつな》、私は印度人の前に大手を拡げて立塞《たちふさ》がった。……と思う間もなく背後《うしろ》の扉《ドア》から飛出したらしい、黄色いワンピースを着たアダリーが私の前に重なり合って突立った。私と印度人を庇護《かば》うつもりらしかった。
 巨漢は面喰ったらしい。ピストルを持ったまま一歩|背後《うしろ》に退《さが》った。
 しかし私はソレ以上に面喰った。背後《うしろ》からアダリーを引抱えて、横に突き退《の》けようとしたが、これが私の大きな過失《エラー》であった。その一瞬間、鼻の先の巨漢の右手から茶色の光りの一直線が迸って印度人の巨体が無言のままドタリと仰向けに倒れた。ウームと唸りながら両足を縮めた。
 アダリーを扉《ドア》の間に閉め込んだ私は、その倒れた印度人の側に突立った。失望とも混乱とも憤懣とも、何ともかとも云いようのない感情の渦巻の中に喘《あえ》ぎ喘ぎ突立っていた。云い知れぬ絶望感のために危うく自制力を失いかけていた。鼻の先に巨漢がノシノシと近付いて来た。
「何だ貴様は……」
 私は冷然と笑った。その私の前後左右に勢《いきおい》を得た暴力団員が立塞がった。私を取逃がすまいとするかのように……。
 その隙《すき》に巨漢は、素早く身を屈《かが》めて印度人の手から紙幣の束を奪い取ろうとした。私は思わずカッとなった。イキナリ馳寄ってその巨漢の右手を靴の先で蹴飛ばした。紙幣が散乱してビショビショに濡れた漆喰《しっくい》の平面に吸付いた。
「……ウヌッ……」
 と怒髪天を衝いた巨漢が、私の耳の上に一撃加えようとするのを、私はヘッドスリップ式に首を屈《ま》げたが、その隙《すき》に両腕を強く振ると、左右の二人が肩の関節を外して悲鳴を上げた。同時に正面の巨漢がピストルを握ろうとした右手を逆に掴んで背負うと、ポキンという音と共に、右の上膊の骨を外した巨漢が、眼の前のタタキの上にモンドリ打って伸びてしまった。
 その手からピストルを奪い取って膝を突いたまま見まわすと、ほかの連中は巨漢を残して狭い路地口を押合いヘシ合い逃げて行った。その後から背後《うしろ》の扉《ドア》を飛出したタキシードと用心棒連が、何やら怒号しながら追うて行ったのを見ると私は急に可笑《おか》しくなった。
 アトを見送った私は倒れた印度人の死骸に向って頭をチョット下げた。
「自業自得です。成仏《じょうぶつ》して下さい」
 と黙祷すると、落散った紙幣を、一枚一枚悠々と拾い集めてポケットに入れた。それから背後《うしろ》の扉《ドア》を押して玄関の横から狭い木の階段をスルスルと馳上《かけあが》って二階へ出た。

 地下室の豪華|絢爛《けんらん》さに比べると二階はさながらに廃屋みたような感じである。窓が多くて無闇《むやみ》に明るいだけに、粗末な壁や、ホコリだらけの板張が一層浅ましい。
 私は一渡り前後左右を見まわすと、その廊下の突当りに向って突進した。
 事務室に居るという雲月斎玉兎女史こと、本名須婆田ウノ子を逃さないためだ。
 廊下の突当りに事務室と刻んだ真鍮板を打付けた青ペンキ塗《ぬり》の扉《ドア》がある。その扉《ドア》を開こうとすると、黄色のワンピース……アダリーが、イキナリ私の右腕に飛付いてシッカリと獅噛《しが》み付いた。涙を一パイ溜めた眼で私を見上げた。
「アナタの伯母さんを殺してはイケマセン……」
 私は愕然《がくぜん》となった。唖然となった。私の心の奥底の秘密を、どうしてアダリーが知っているのだろう。
 私の舌が狼狽の余り縺《もつ》れた。
「馬鹿……ホントの……ホントの伯母さんじゃない。毒婦だ」
 アダリーはイヨイヨシッカリと私の腕に絡み付いた。栗色の頭髪《かみ》を強く左右に振った。
「チガイマス……善い人です。私たちの恩人です」
 私は呆れた。同時に狼狽した。左手に握っていた八百五十円の札束をイキナリ、アダリーのワンピースの襟元に押込んだ。
「さ……これを遣る。放してくれ」
「アッ。イケマセン」
 とアダリーは叫んで、慌てて札束を取出そうとした。その隙《すき》に私はアダリーを振離して青ペンキ塗《ぬり》の扉《ドア》の中に飛込んだ……が……思わずアッと声を立てた。
 そこは意外千万にも真紅と黄金の光りに満ち満ちた王宮のような居室であった。嘗《かつ》て何かの挿画で見た路易《ルイ》王朝式というのであったろう……緋色《ひいろ》の羅紗《らしゃ》に黄金色の房を並べた窓飾《カーテン》や卓子被《テーブルクロス》、白塗《しろぬり》に金銀宝石を鏤《ちりば》めた豪華な椅子や卓子《テーブル》がモリモリ並んでいる。その入口に面した向側の大暖炉の上に巨大な鏡が懸かって、血相の変った私の顔がハッキリと映っている。
 煙突の掃除棒みたようにクシャクシャに乱立した頭髪。青黒く痙攣した顔面筋肉。引き歪《ゆが》められた古背広。ネクタイ。ワイシャツ。動脈瘤の妖怪然たる決死の姿……。
 部屋の中には誰も居ない。大暖炉の横の紫檀《したん》の台の上に両手をブラ下げて天を仰いだ裸体の少年像(後から聞いたところによるとこれはロダンの傑作の青銅像で雲月斎玉兎女史の巴里《パリー》土産《みやげ》であったという)がタッタ一つ立っているきりである。部屋の中に満ち満ちた香水の芳香がシンカンと静まり返って気が遠くなりそうである。
「ホホホホホホホホホ」
 思いがけない方向から思いがけない女の笑い声が聞えたので、私はビックリした。その方向に向き直ってキッと身構えた。
 部屋の右手の隅に七宝細工かと思われる贅沢な寝台が在る。金糸でややこしい刺繍の紋章を綾取《あやど》った緋色の帷帳《カーテン》がユラユラと動いたと思うとサッと左右に開いた。その中の翡翠《ひすい》色の羽根布団を押除《おしの》けて一つの驚くべき幻影がムクと起上った。
 玉虫色の夜会服を着た妖艶花のような美人……噂に聞いた……ブロマイドで見た……銀幕で見た……否。それ以上に若い、匂やかな生き生きした艶麗さ……私は、私の大動脈瘤が描きあらわす一つの幻覚ではないかと思った。コンナ素晴らしい幻影が見えるのは、黴毒が頭に来ているせいじゃないか知らんと思ったくらい蠱惑《こわく》的な姿であった。
「オホホホホホ。初めてお眼にかかります。妾《わたし》は伯父様に御厄介になっております玉兎で御座います」
 私は背後《うしろ》の低い緞子《どんす》の肘掛椅子に尻餅を突いた。クッションに跳ね返されて辷《すべ》り落ちそうになったので慌てて坐り直した。
「ホホ。最前からの御様子はここから拝見しておりました。お美事なお手の中《うち》に感心致しておりました。失礼ですけど……あのアダ子や……アダ子や……」
「ハイ……」
 返事の声と殆ど同時に私の横手の扉《ドア》が静かに開《あ》いた。耳の横に新しいフリージャの花を飾ったアダリーが、湯気の立つ赤黒い液体を湛えた青い茶碗を二つ載せた銀盆を目八分に捧げて這入って来た。印度風の礼式であろうか。頭の上に押し戴くように一礼しいしい私の前の小|卓子《テーブル》に載せた。
 扉《ドア》の外での切羽詰まった態度はどこへやら、今までの事はどこを風が吹くかという落附きぶりを見せながらアダリーは両手を胸に当てて最敬礼をしいしい立去った。
 その背後《うしろ》姿を扉《ドア》の外へ見送っているうちに私はやっと吾に帰った。同時に余りにも白々しい二人の冷静さに、たまらない怒気が腹の底から煮えくり返って来るのを、どうする事も出来なかった。
 二人は自分達の夫であり、主人である伯父の死体が玄関前に横たわっているのを知っておりながら平気で私を取巻いて、この上もなく冷血な芝居をしている。アダリーが私を扉《ドア》の外に引止めたのは、毒婦玉兎女史に何かしら準備の余裕を与えようとしていたものに相違ない。
 私は、そう気が付くと同時に颯《さっ》と緊張した。
「オホホホ。まあ落付いて下さい。どうぞ印度のお紅茶を一つ……実はあなたに御相談したいことがありますの」
「この上に落付く必要はないです。眼が見えます。耳が聴《きこ》えます。どんな御相談ですか」
「……まあ……随分性急ですね、友太郎さんは……」
 だしぬけに名前を呼ばれて、私はビックリした。しかし、それを顔には出さず、咳払いをした。
「止むを得ません。時日がないですから」
「まあ……時間がない、どうしてですか」
「僕はもう二三日中に死ぬのです。大動脈瘤に罹《かか》っているんです」
「まあ……大動脈瘤と申しますと……」
「前月の二十七日にQ大学で心臓をレントゲンにかけてもらったのです。そうしたら僕の心臓の大動脈の附根に巨大《おおき》な動脈瘤というものがある事が発見されたのです。その時にもう二週間の寿命しかないと、宣告されたのですから、僕の寿命は今日、明日のうち
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