…ウヌッ……」
と怒髪天を衝いた巨漢が、私の耳の上に一撃加えようとするのを、私はヘッドスリップ式に首を屈《ま》げたが、その隙《すき》に両腕を強く振ると、左右の二人が肩の関節を外して悲鳴を上げた。同時に正面の巨漢がピストルを握ろうとした右手を逆に掴んで背負うと、ポキンという音と共に、右の上膊の骨を外した巨漢が、眼の前のタタキの上にモンドリ打って伸びてしまった。
その手からピストルを奪い取って膝を突いたまま見まわすと、ほかの連中は巨漢を残して狭い路地口を押合いヘシ合い逃げて行った。その後から背後《うしろ》の扉《ドア》を飛出したタキシードと用心棒連が、何やら怒号しながら追うて行ったのを見ると私は急に可笑《おか》しくなった。
アトを見送った私は倒れた印度人の死骸に向って頭をチョット下げた。
「自業自得です。成仏《じょうぶつ》して下さい」
と黙祷すると、落散った紙幣を、一枚一枚悠々と拾い集めてポケットに入れた。それから背後《うしろ》の扉《ドア》を押して玄関の横から狭い木の階段をスルスルと馳上《かけあが》って二階へ出た。
地下室の豪華|絢爛《けんらん》さに比べると二階はさながらに廃屋みたような感じである。窓が多くて無闇《むやみ》に明るいだけに、粗末な壁や、ホコリだらけの板張が一層浅ましい。
私は一渡り前後左右を見まわすと、その廊下の突当りに向って突進した。
事務室に居るという雲月斎玉兎女史こと、本名須婆田ウノ子を逃さないためだ。
廊下の突当りに事務室と刻んだ真鍮板を打付けた青ペンキ塗《ぬり》の扉《ドア》がある。その扉《ドア》を開こうとすると、黄色のワンピース……アダリーが、イキナリ私の右腕に飛付いてシッカリと獅噛《しが》み付いた。涙を一パイ溜めた眼で私を見上げた。
「アナタの伯母さんを殺してはイケマセン……」
私は愕然《がくぜん》となった。唖然となった。私の心の奥底の秘密を、どうしてアダリーが知っているのだろう。
私の舌が狼狽の余り縺《もつ》れた。
「馬鹿……ホントの……ホントの伯母さんじゃない。毒婦だ」
アダリーはイヨイヨシッカリと私の腕に絡み付いた。栗色の頭髪《かみ》を強く左右に振った。
「チガイマス……善い人です。私たちの恩人です」
私は呆れた。同時に狼狽した。左手に握っていた八百五十円の札束をイキナリ、アダリーのワンピースの襟元に押込んだ。
「さ……これを遣る。放してくれ」
「アッ。イケマセン」
とアダリーは叫んで、慌てて札束を取出そうとした。その隙《すき》に私はアダリーを振離して青ペンキ塗《ぬり》の扉《ドア》の中に飛込んだ……が……思わずアッと声を立てた。
そこは意外千万にも真紅と黄金の光りに満ち満ちた王宮のような居室であった。嘗《かつ》て何かの挿画で見た路易《ルイ》王朝式というのであったろう……緋色《ひいろ》の羅紗《らしゃ》に黄金色の房を並べた窓飾《カーテン》や卓子被《テーブルクロス》、白塗《しろぬり》に金銀宝石を鏤《ちりば》めた豪華な椅子や卓子《テーブル》がモリモリ並んでいる。その入口に面した向側の大暖炉の上に巨大な鏡が懸かって、血相の変った私の顔がハッキリと映っている。
煙突の掃除棒みたようにクシャクシャに乱立した頭髪。青黒く痙攣した顔面筋肉。引き歪《ゆが》められた古背広。ネクタイ。ワイシャツ。動脈瘤の妖怪然たる決死の姿……。
部屋の中には誰も居ない。大暖炉の横の紫檀《したん》の台の上に両手をブラ下げて天を仰いだ裸体の少年像(後から聞いたところによるとこれはロダンの傑作の青銅像で雲月斎玉兎女史の巴里《パリー》土産《みやげ》であったという)がタッタ一つ立っているきりである。部屋の中に満ち満ちた香水の芳香がシンカンと静まり返って気が遠くなりそうである。
「ホホホホホホホホホ」
思いがけない方向から思いがけない女の笑い声が聞えたので、私はビックリした。その方向に向き直ってキッと身構えた。
部屋の右手の隅に七宝細工かと思われる贅沢な寝台が在る。金糸でややこしい刺繍の紋章を綾取《あやど》った緋色の帷帳《カーテン》がユラユラと動いたと思うとサッと左右に開いた。その中の翡翠《ひすい》色の羽根布団を押除《おしの》けて一つの驚くべき幻影がムクと起上った。
玉虫色の夜会服を着た妖艶花のような美人……噂に聞いた……ブロマイドで見た……銀幕で見た……否。それ以上に若い、匂やかな生き生きした艶麗さ……私は、私の大動脈瘤が描きあらわす一つの幻覚ではないかと思った。コンナ素晴らしい幻影が見えるのは、黴毒が頭に来ているせいじゃないか知らんと思ったくらい蠱惑《こわく》的な姿であった。
「オホホホホホ。初めてお眼にかかります。妾《わたし》は伯父様に御厄介になっております玉兎で御座います」
私は背後《うしろ》の低い緞子
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