と命じて、私はその上海行きの長崎丸という汽船に乗って盛広《もりひろ》の短刀と一緒に一切の事実を告白した遺書を残して、海中へ飛込む計劃である。万が一にも助からないようにピストルで頭を撃って……するとすぐ扉《ドア》をノックして十四五の可愛い顔のボーイが這入って来た、眼をマン丸くしてお辞儀をした。
「何か御用ですか」
 私はすっかり張合が抜けてベットに長くなって寝たまま金を渡した。
 切符を買って来たボーイは妙にニコニコしながら両手を揉んだ。
「御夕食後御退屈ならホテルのダンスホールにおいでになりませんか。すぐこの下ですが」
 私は十二分の好奇心をもって、夕食もソコソコに階下のダンスホールにいって見た。そこで何事か起るに違いないといったような予感に打たれたが、しかしダンスホールには何等変った事がなかった。しかも東京の騒動が利いていたせいか、踊る客人は極めて僅少で、ただ一人若い医者らしいスマートな男が、一人で噪《はしゃ》いで踊っているのを、大勢の女がヤンヤと持て囃《はや》しているだけであった。その男は皮膚が薄赤くて髪毛《かみのけ》と眉毛が黄色く薄い男であったが、あんまり朗らかで愉快そうに見えるから、私は云い知れぬなつかし味をおぼえながら眺めているところへ、一おどり踊り終ったその男は、桃色に染った口をハンカチで拭き拭きすぐ私の傍《そば》の安楽椅子へ来てドッカリと腰をかけた。
「やー、どうも失礼しました」
 ヒョッコリと私に向って頭を下げた。何のわだかまりもない風付《ふうつ》きで私にシャンパンのコップをすすめた。
「ありがとう御座います。しかし頂きません」
 私がこう云って頭を下げると相手の男は見る見る妙な顔になって、私を見た今までの快活さはどこへやら、暫くの間ジイッと顔の筋力を剛《こわ》ばらせて、不思議な事に私の顔を凝視している様子であったが、やがてホッとため息しいしい大きく一つうなずいた。
「ハハアー、貴方は心臓がお悪いですな」
 私の心臓が大きく一つドキンとした。
「エッ……ど……どうしておわかりになりますので……」
「アハハ、お顔色でわかります。大動脈瘤でしょう」
「……………」
 私はもうすこしで気絶するところであった。その私の眼の前へ、男は名刺を差出した。受取って見ると、「レントゲン専門医学士|古木亘《ふるきわたる》」と明朝体で印刷してある。私はこの男の肉眼までが、
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