さ……これを遣る。放してくれ」
「アッ。イケマセン」
とアダリーは叫んで、慌てて札束を取出そうとした。その隙《すき》に私はアダリーを振離して青ペンキ塗《ぬり》の扉《ドア》の中に飛込んだ……が……思わずアッと声を立てた。
そこは意外千万にも真紅と黄金の光りに満ち満ちた王宮のような居室であった。嘗《かつ》て何かの挿画で見た路易《ルイ》王朝式というのであったろう……緋色《ひいろ》の羅紗《らしゃ》に黄金色の房を並べた窓飾《カーテン》や卓子被《テーブルクロス》、白塗《しろぬり》に金銀宝石を鏤《ちりば》めた豪華な椅子や卓子《テーブル》がモリモリ並んでいる。その入口に面した向側の大暖炉の上に巨大な鏡が懸かって、血相の変った私の顔がハッキリと映っている。
煙突の掃除棒みたようにクシャクシャに乱立した頭髪。青黒く痙攣した顔面筋肉。引き歪《ゆが》められた古背広。ネクタイ。ワイシャツ。動脈瘤の妖怪然たる決死の姿……。
部屋の中には誰も居ない。大暖炉の横の紫檀《したん》の台の上に両手をブラ下げて天を仰いだ裸体の少年像(後から聞いたところによるとこれはロダンの傑作の青銅像で雲月斎玉兎女史の巴里《パリー》土産《みやげ》であったという)がタッタ一つ立っているきりである。部屋の中に満ち満ちた香水の芳香がシンカンと静まり返って気が遠くなりそうである。
「ホホホホホホホホホ」
思いがけない方向から思いがけない女の笑い声が聞えたので、私はビックリした。その方向に向き直ってキッと身構えた。
部屋の右手の隅に七宝細工かと思われる贅沢な寝台が在る。金糸でややこしい刺繍の紋章を綾取《あやど》った緋色の帷帳《カーテン》がユラユラと動いたと思うとサッと左右に開いた。その中の翡翠《ひすい》色の羽根布団を押除《おしの》けて一つの驚くべき幻影がムクと起上った。
玉虫色の夜会服を着た妖艶花のような美人……噂に聞いた……ブロマイドで見た……銀幕で見た……否。それ以上に若い、匂やかな生き生きした艶麗さ……私は、私の大動脈瘤が描きあらわす一つの幻覚ではないかと思った。コンナ素晴らしい幻影が見えるのは、黴毒が頭に来ているせいじゃないか知らんと思ったくらい蠱惑《こわく》的な姿であった。
「オホホホホホ。初めてお眼にかかります。妾《わたし》は伯父様に御厄介になっております玉兎で御座います」
私は背後《うしろ》の低い緞子
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