スッカリ気を呑まれたらしく生命《いのち》知らずの連中が六人とも顔を見交《みかわ》して眼を白黒さした。この印度人が尋常の人間でない事を感付いたらしい。私はイヨイヨ伯父に違いないと思った。スッカリ感心してしまった。
「……サア……どうです。一体いくら欲しいのですか。君等は……」
「……サ……三千円出せ」
「アハハハ。そんなに出せませぬ。今ここに八百五十円あります」
「畜生……そんな目腐《めくさ》れ金《がね》で俺達が帰れると思うか」
「ヘヘヘ。ここはビルデングの奥です。わかりましたか。ここはビルデングの奥ですよ。ピストルを撃っても往来までは聞えません。どんな取引でも出来ます。サア……お金か……血か……どちらがいいですか」
「血だッ……」
 と叫ぶと同時にステッキを提げた巨漢が右のポケットから黒い拳銃《ピストル》を取出した。
 その一|刹那《せつな》、私は印度人の前に大手を拡げて立塞《たちふさ》がった。……と思う間もなく背後《うしろ》の扉《ドア》から飛出したらしい、黄色いワンピースを着たアダリーが私の前に重なり合って突立った。私と印度人を庇護《かば》うつもりらしかった。
 巨漢は面喰ったらしい。ピストルを持ったまま一歩|背後《うしろ》に退《さが》った。
 しかし私はソレ以上に面喰った。背後《うしろ》からアダリーを引抱えて、横に突き退《の》けようとしたが、これが私の大きな過失《エラー》であった。その一瞬間、鼻の先の巨漢の右手から茶色の光りの一直線が迸って印度人の巨体が無言のままドタリと仰向けに倒れた。ウームと唸りながら両足を縮めた。
 アダリーを扉《ドア》の間に閉め込んだ私は、その倒れた印度人の側に突立った。失望とも混乱とも憤懣とも、何ともかとも云いようのない感情の渦巻の中に喘《あえ》ぎ喘ぎ突立っていた。云い知れぬ絶望感のために危うく自制力を失いかけていた。鼻の先に巨漢がノシノシと近付いて来た。
「何だ貴様は……」
 私は冷然と笑った。その私の前後左右に勢《いきおい》を得た暴力団員が立塞がった。私を取逃がすまいとするかのように……。
 その隙《すき》に巨漢は、素早く身を屈《かが》めて印度人の手から紙幣の束を奪い取ろうとした。私は思わずカッとなった。イキナリ馳寄ってその巨漢の右手を靴の先で蹴飛ばした。紙幣が散乱してビショビショに濡れた漆喰《しっくい》の平面に吸付いた。
「…
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