、それに関する人の噂を聞いたりすると、トテモたまらない愉快を感ずるものだと云うのです。つまり自分の罪を人知れず自白してみたい一種の心理と、犯罪者特有の冒険慾とが一所になって来るので、トテモ正しい人間の想像も及ばないスバラシイ魅力を持っているものだそうで……つまり、その犯した罪が大きければ大きい程……そうして犯人自身が知識階級であればある程、その魅力も何層倍の深さに感ぜられるものだと云うのです。……だから妾《わたし》のお父様を殺した犯人は、ツイこの頃までも、そうした大きい魅力に引かされて、この村に帰ってみたくて堪《たま》らないでいたに違い無いが、ここにタッタ一人、その犯人の顔や特徴をよく知っておられる、うちの御養父《おとう》様が生き残っておられた。……それでウッカリこの村に足を入れる事が出来ずにいたのだが、その御養父《おとう》様がお亡くなりになった今日では、モウ怖い者は一人も居ないのだから、その犯人はスッカリ安心しているにちがい無い。そうして近いうちにこの村に遣って来るに違い無い……イヤ……事によると、もうそこいらに来ていて、妾の姿をジロジロ眺めているかも知れない……と云うので、恰《まる》で夢みたような事を主張するのです……しかも真剣に……」
 熱心に傾聴していた黒木は今一度、長いため息をした。やはり相手の顔をみつめたまま……。
「成る程……婦人の想像力ぐらい恐ろしいものはありませんからね……真実以上の真実ですから……」
「……まったくです……しかし、その時はちょうど僕も品夫も、新規に引き受けた病院の仕事だの、遺産の整理だの、法事だのというものがゴチャゴチャと重なり合っていて、トテモ結婚どころの沙汰じゃなかったもんですから、そんな事を深く穿鑿《せんさく》する暇も無いままに放《ほ》ったらかしておいたものですが……そうそう……それから品夫はコンナ事も附け加えて話しましたよ。何でもそれから二三日目の夕食の時でしたが、顔を赤くしながら……妾《わたし》はこのあいだ御養父《おとう》様の二七日の晩に、妾の身の上とソックリのコルシカ人の娘の話を読んで心から感心してしまった。その娘は、父親を殺したに違い無いと思っている男から婚約を申し込まれると、大喜びで直ぐに承諾をして、他からの申込みを全部断ってしまった。そうして結婚式の晩にその男を絞め殺す……という筋であったが、その中には、そうした自分の罪の遺跡に引きつけられつつ、犯罪を二重に楽しんで行こうとする犯人の気持ちと、その犯人のそうした執念深い慾望をキレイに断《た》ち切って終《しま》うかどうかしなければ、どうしても気が済まない、生一本《きいっぽん》の娘の心理とが、タマラナイ程深刻に描《えが》きあらわしてあった……と云うのです。何でも品夫はその小説を読んでから、そんな気になったのじゃないかと思うんですが……」
「ハハア……」
 と黒木はイヨイヨ感動したらしく、片手で鼻の下を撫でおろした。
「……仏蘭西《フランス》か伊太利《イタリー》物らしい小説ですな。……けれども万に一つその通りになったら、お嬢さんは、トテモ素晴らしい直感力を持っておられる訳ですね」
 健策も苦笑しながら、ツルリと顔を撫でまわした。
「どうも赤面の至りです。あんまり非常識な話なので……」
「……イヤ……しかし驚き入りましたナ。……実は私も品夫さんのお父さんに関する村の人の噂を二三聞いているにはいたのですが、大部分誇張だろうと思いましたし、もしかすると岡焼き連《れん》の中傷かも知れないと思いましたから、今の今までチットも信じていなかったのですが……」
「イヤ……村の者の噂は大部分事実なのです。品夫はたしかに氏素性《うじすじょう》のハッキリしない者の娘で、しかも変死者の遺児《わすれがたみ》に相違無いのです。つまり、その犯人が捕まらないために、何もかもが有耶無耶《うやむや》に葬られた形になっているので……」
「ハハア。……してみると所謂《いわゆる》迷宮事件ですな」
「そうなんです。品夫の父親が殺された事件は徹頭徹尾、迷宮でおしまいになっているのです。何しろ二十年も昔の事ですから、警察の仕事もいい加減なものだったでしょうし、おまけにこんな片田舎の高い山の上で行われた犯罪ですから、たしかな証拠なぞは一つも掴まれなかったらしいのです」
「成る程。しかし物的の証拠は無くとも、心的の証拠は何かあった訳ですね。犯人が仮想されていた位ですから……」
「それはそうです。その当時はたしかにそれに相違無いという犯人の目星がついていたのですが、今となっては、その犯人が捕まらないために、事件全体が五里霧中の未解決のままになっているのです。……ですから、そんなところから色々な噂も起って来るでしょうし、品夫も亦《また》ソンナ事を探偵小説的に考え過ぎた結果、飛《と》んでもない空想を抱くようになったのじゃないかと想像しているんですがね……貴方《あなた》の御意見はどうだか知りませんが……」
「……そうですね……それはそうかも知れませんが……。しかし何しろ私も、そんな噂話があるという事を、看護婦を通じて聞いただけですから、シッカリした考えは申上げかねるのですが……」
「……成る程……それじゃその事件のあらまし[#「あらまし」に傍点]だけを、今から掻《か》い抓《つま》んでお話してみましょうか。その時に立ち会った養父《ちち》の話ですから、村の噂などよりもズット正確な訳ですが……聞いてくれますか貴方は……」
「……ヘエ。それは是非伺いたいものですが……しかし……御承知の通り私は、すこし興奮すると、すぐに睡《ねむ》れなくなる性質《たち》なので、それに時間も遅いようですし……」
「……イヤ。まだ十時位でしょう。眠れなかったら、あとで散薬か何か上げますから、それを服《の》んだらいいでしょう。もう本当は退院されてもいい位に恢復しておられるのですから、一《ひ》と晩ぐらい夜更かしをされても大丈夫ですよ……僕が請け合います……」
「アハハハハ……イヤ。散薬なら二三日前に頂戴《ちょうだい》したのがまだ残っていますが……」
「そうして適当な判断を下してくれませんか……品夫が外国の探偵小説にカブレて、そんな事を云い出したものか、それともほかに何か理由《わけ》があっての事か……どうかというような事を……」
「ハハハハハ……ドウモそう性急に仰言《おっしゃ》っちゃ困りますがね。……婦人の心理というものは要するに、男にはわからない物だそうですから……」
「まったくです。全然不可解なんです」
「アハハ……イヤ……私も無論、御同様だろうとは思いますが……それじゃ、とにかくその事件の成行《なりゆき》というものを伺った上で、一ツ考えさして頂きますかね」
「どうか願います……こうなんです。……品夫の父親というのは今から三十年ほど前に、親父《ちち》の玄洋が、この村の獣医として東京から連れて来た、実松《さねまつ》源次郎という男で、死んだ時が四十いくつとかいう事でした。生れは東北のC県で、T塚村という大村の、実松家という富豪の跡取《あととり》息子だったそうですが、どうした理由《わけ》か、故郷に親類が一人も居なくなったので、田地田畑をスッカリ金に換えて上京したものだそうです。そうして獣医学校に籍を置いて勉強しているうちに、同じ下宿に居た関係から私の養父《ちち》の玄洋と懇意になったのだそうで……」
「ハハア。チョット……お話の途中ですが、その故郷の親類が一人も居なくなった理由《わけ》というのは、今でもやはり、おわかりになっていないのですね」
「そうです。何故だかわからないままになっているのです……しかしタッタ一人その源次郎氏の甥《おい》というのが残っていたそうです。たしかに源次郎氏の姉の子供だと聞きましたが、それが、実松当九郎といって、この事件の犯人と眼指《めざ》されている二十二三歳の青年なんです。尤《もっと》も今は四十以上の年輩になっている訳で、ちょうど貴方位の年恰好《としかっこう》だろうと思われるのですが」
「ハハア。どんな風采の男か、お聞きになりましたか」
「スラリとした色の白い……女のような美青年だったそうです。何でもズット以前から叔父の源次郎氏に学費を貢《みつ》いでもらって、東京で勉強していたけれども、不良少年の誘惑がうるさいからこっちへ逃げて来たという話で……そうしてこの病院の加勢をしながら開業免状を取るというので、村外れの叔父の家から毎日通っていたそうですが、頭のステキにいい、何につけても器用な男で、人柄もごく温柔《おとな》しい方だったので、養父《ちち》の玄洋が惚れ込んでしまって、うちの養子にしようかなどと、養母《はは》に相談した事も、ある位だったそうです」
「ハハア。玄洋先生は余程開けたお方だったのですな」
「そうですね。養父《ちち》はどっちかと云えば人を信じ易い性質《たち》だったのでしょう。品夫の実父の源次郎氏の事なども、獣医には惜しい立派な人物だと云って賞《ほ》め千切《ちぎ》っていたようですが、よく聞いてみるとそれ程の人物でもなかったようで、こんな村の獣医相当の人間だったのでしょう。一見して変り者に見える、黙り屋の無愛想者だったそうで、友達なども養父《ちち》の玄洋以外に一人も無かったそうです。……趣味といっては唯《ただ》銃猟だけだったそうですが、これは余程の名人だったらしく、十年ばかり居る間に、S岳界隈の山の案内は、所の猟師よりももっと詳しく知り尽していたという事で……気が向くと夜よなかでもサッサと支度して、鉄砲を荷《かつ》いで出て行くので、あくる朝になって家《うち》の者が気が付く事が多い……そうして帰って来ると、いつもこの上なしの上機嫌で、その獲物を肴《さかな》に一パイ飲《や》りながら、メチャメチャに妻君を熱愛するのが又、近所|合壁《がっぺき》の評判になっていたそうですがね。ハハハハハ。しかし、さもない時には、気が向かない限り、どこから迎えに来ても断って、酒ばかり飲んで寝ころんでいるといった調子で……金なども銀行や郵便局には預けずに、残らず現金にして、どこかにしまっておく……どこに隠しているかは妻君にも話さないという変り方だったそうです。……ただその妻君というのが、ソレ者《しゃ》上りらしい挨拶上手で、亭主の引きまわしがよかったために、やっと人気をつないでいたという事ですが……」
「なる程。そんな事で、とにかく琴瑟《きんしつ》相和《あいわ》していた訳ですな」
「そうです……ところが、その甥の当九郎という青年が実松家に入り込むようになると、その夫婦仲が、どうも面白くなくなったそうです。……これは品夫が生れる前から、長いこと雇われていたお磯という婆さんの話ですが、何故かわからないけれども源次郎氏の当九郎に対する愛情というものは吾《わ》が児《こ》以上だったそうで、当九郎に対するアタリが悪いと云っては、いつも品夫の母親を叱ったものだそうです」
「ハハア……一種の変態ですかな」
「そうだったかも知れません……とにかく今までに無い夫婦喧嘩が、そんな事で時々起るようになったそうですが、そのうちに丁度今から二十年|前《ぜん》の事……品夫の母親が、品夫を生み落したまま産褥熱《さんじょくねつ》で死ぬと間もなく、甥の当九郎が又、何の理由も無しに、叔父の源次郎氏と私の養父《ちち》へ宛てて、亜米利加《アメリカ》へ行くという置き手紙をしたまま、行方不明になってしまったものだそうです」
「ハハア。成る程……ところでその甥はホントウに亜米利加《アメリカ》へ行ったのでしょうか」
「サア……それが疑問の中心なので、その筋では、これが当九郎の叔父殺しの前提だと睨《にら》んでいたそうですが」
「成る程……尤《もっと》も至極な疑問ですナ」
「……とにかく事件は、その甥が家出してから、三箇月ばかり経った後《のち》に……明治四十一年の三月の中旬でしたかに起ったものだそうで……源次郎氏は妻君に死に別れた上に、可愛がっていた甥にまで見棄てられて、赤ん坊の品夫と、お磯婆さんの三人切りになったので、多少|自棄《やけ》気味もあったのでしょう。それ
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