。大きく、静かに、最後の呼吸を波打たせる相手の胸に、調子を合わせるかのように、彼女自身の呼吸を深く、深く、ゆるやかに張り拡げて行った。そうして相手の呼吸が全く絶えると同時に、彼女自身もピッタリと呼吸を止めて、彫像のように動かなくなった。
「……品夫ッ……」
 という雷のような声が、廊下の方から飛び込んで来たのはその時であった。
 ハッとした品夫は、一瞬間に身を退《ひ》いた。夥《おびただ》しい髪毛《かみのけ》を颯《さっ》と背後《うしろ》にはね除《の》けて、メスを握った右手を高く振り上げかけたが、白い服のまま仁王立ちになっている健策の真青な、引き歪《ゆが》められた顔を眼の前に見ると、急に身を反《そ》らして高らかに笑い出した。
「……ホホホホホホ。ホホホホあなた見ていらっしたの……ホホホホホホ。ステキだったでしょう……妾《わたし》……とうとう讐敵《かたき》を討ったのよ……」
 品夫の手から辷《すべ》り落ちたメスが、床の上に垂直に突立った。同時に気が弛《ゆる》んだらしくグッタリとなった品夫は、両頬を真赤に染めて羞恥《はにかみ》ながら、健策の胸にしなだれかかった。血だらけの両手を白い診察服の襟に
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