たでしょうか……甥の当九郎から……」
「お磯の記憶によると無かったそうです。……あとで家探《やさが》しまでしてみたそうですが……」
「……成る程。それから……」
「それから先は頗《すこぶ》る簡単です。あのS岳峠の一本榎《いっぽんえのき》という平地《たいら》の一角に在る二丈ばかりの崖から、谷川に墜《お》ちて死んでいる実松氏の屍体《したい》を、夜が明けてから通りかかった兎追いの学生連中が発見して、村の駐在所に報告したので、大騒ぎになったものだそうで……死因は谷川に墜ちた際に、岩角で後頭部を砕いたためで、外には些《すこ》しも異状を認められなかったそうです。これはその屍体を診察した養父《ちち》の話ですがね……」
「成る程……しかし屍体以外には……」
「屍体以外には、ポケットの中に油紙に包んだ巻煙草《まきたばこ》の袋と、マッチと、焼いた鯣《するめ》が一枚這入っていたそうで、弁当箱の中味や、水筒の酒も減っていなかったそうです。……それからもう一つ胴巻の中から、二円何十銭入りの蟇口《がまぐち》が一個出て来たそうですが、それが天にも地にも実松家の最後の財産だったそうで、源次郎氏がどこにか隠していた筈の
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