と私もそこへ同居し、中学へ通うようになった。
 中学に通い初めると間もなく私は宗教、文学、音楽、美術の研究に凝《こ》り、テニスに夢中になった。明らかに当時のモボ兼、文学青年となってしまった。
 その十六歳の時、久し振りに帰省した父から将来の目的を問われて、
「私は文学で立ちたいと思います」
 と答えた時の父の不愉快そうな顔を今でも忘れない。あんまりイヤな顔をして黙っていたので私はタマラなくなって、
「そんなら美術家になります」
 と云ったら父がイヨイヨ不愉快な顔になって私の顔をジイッと見たのでこっちもイヨイヨたまらなくなってしまった。
「そんなら身体《からだ》を丈夫にするために農業をやります」
 と云ったら父の顔が忽ち解けて、見る見るニコニコと笑い出したので、私はホッとしたものであった。
「フン。農業なら賛成する。何故かというと貴様は現在、神経過敏の固まりみたようになっている。先刻《さっき》から俺の顔色を見て、ヤタラに目的を変更しているようであるが、そんなダラシのない神経過敏では、今の生存競争の世の中に当って勝てるものでない。芸術とか、宗教とかいうものは神経過敏のオモチャみたようなもの
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