ので、その傘をさしてお庭に出ると云ったら、母が風邪を引くと云って無理に止めた。筆者は、その「風邪」なるものの意味がわからないので大いに泣いて駄々を捏《こ》ねたらしく、間もなく許可《ゆる》されて跣足《はだし》で庭に降りると、雨垂れ落《おち》の水を足で泄《たた》えたり蟇《ひき》を蹴飛ばしたりして大いに喜んだ。時々|翳《かざ》している傘の絵を見て、馬の走って行く方向にクルクル廻わしているところへ、浴衣がけの父がノッソリ縁側に出て来て、傘の上から問うた。
「それは何の絵けエ」
 弾力のある柔和な声であった。

 奥の八畳の座敷中央に火鉢と座布団があって、その上にお祖父様が座っておられた。大変に憤《おこ》った怖い顔をして右手に、総鉄張り、梅の花の銀|象眼《ぞうがん》の煙管《きせる》を持っておられた。その前に父が両手を突いて、お祖父様のお説教を聞いているのを、私はお庭の植込みの中からソーッと覗いていた。
 その中《うち》、突然にお祖父様の右手が揚《あ》がったと思うと、煙管が父のモジャモジャした頭の中央に打突《ぶつ》かってケシ飛んだ。それが眼にも止まらない早さだったのでビックリして見ている中《うち》
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