ころで頭山も俺も睾丸《きんたま》の毛にシラミがウジャウジャしていたから、一つこいつを喧嘩させて見ようではないか。そうして負けた方がここに滞在して小さくなっている。勝った方が金策に出る事にしようではないかと云うと、頭山が面白い、やってみようと云うた。ところが頭山のヤツは真黒くて精悍《せいかん》な恰好をしている。俺のに湧いたヤツは真白くてムクムク肥って活動力がないのでドウ見ても勝てそうにない。しかし俺には確信があったから、新聞紙を四ツに折って、その溝の十文字の処で選手を闘わせてみると案の定俺の白いヤツが黒い奴を押し倒おして動かせない。そこで俺が解放される事になって帰って来た訳だが、ナアニ頭山は正直だから、シラミを逃がさないようにシッカリと抓《つま》んで出すのだから、土俵へ上らない中《うち》に代表選手が半死半生になっている。これに反して俺の方は、選手を抓み出す時から出来るだけソーッと抓んで掌《てのひら》に入れてソーッと下に置くのだから双方の元気に雲泥の相違がある。勝敗の数は勿論、問題じゃないことになるのだ」
 これも事実だかどうだか頭山さんに聞いてみない事にはわからないが、その時に家中《うちじゅう》が引っくり返るほど笑い転げていた事を思い出すと、やはりソンナ話を睾丸《きんたま》の毛を剃り剃り父が話していたのかも知れぬ。とにかく父が帰ると同時に家中が急に明るく、朗らかになった気持だけは、今でも忘れない。
 なお父が濛々たる関羽髯を剃落したのも、その序《ついで》ではなかったかと思う。

 それから父は、家族連中の環視の中で、先祖重代の刀を取出して、その切羽《せっぱ》とハバキの金を剥ぎ、鍔《つば》の中の金象眼《きんぞうがん》を掘出して白紙に包んだままどこかへ出て行った。そうして直ぐに帰って来たようにも思う。ナカナカ帰って来なかったようにも思う。

 その後《のち》の事であったか、その時の事であったか、父の弟《おとと》の五百枝《いおえ》と、末弟の林|駒生《こまお》と三人が、家の外に集まって下水の掃除をしていた姿を思い出す。その中で、どうしても一個所竹竿の通らない処を、父が鍬《くわ》で掘出して土管を埋め直し、若い叔父さま二人に水を汲んで来て流して見ろと命じていた。その泥だらけの颯爽《さっそう》たる姿を、そこいら一面に生えていた、犬蓼《いぬたで》の花と一所《いっしょ》に思い出す。

 やはりその頃の事であったと思う。
 父は六歳になった筆者を背中に乗せて水泳を試み、那珂《なか》川の洲口《すぐち》を泳ぎ渡って向うの石の突堤に取着き、直ぐに引返して又モトの砂浜に上った。滅多に父の背中に負ぶさった事なぞない私はタマラなく嬉しかった。
 その父の背中は真白くてヌルヌルと脂切《あぶらぎ》っていた。その左の肩に一ツと、右の背筋の横へ二ツ並んで、小さな無果花《いちじく》色の疣《いぼ》が在った。左の肩へ離れて一ツ在るのが一番大きかったが、その一つ一つに一本|宛《ずつ》、長い毛がチリチリと曲って生えているのが大変に珍らしかったので、陸《おか》に上ってから繰返し繰返し引っぱった。
「痛いぞ痛いぞ。ウフフフ……」
 と父が笑った。
 父は九歳の時に遠賀《おんが》郡の芦屋《あしや》で、お祖父様の夜網打ちの艫櫓《ともろ》を押したというから、相当水泳が上手であったらしい。那珂川の洲口といえば、今でも海水、河水の交会する、三角波の重畳した難コースで、岸の上から見てもゾッとするのに、負ぶさってる私は怖くも何とも感じなかった。些《すくな》くとも父の肩から上と私の背中だけは水面上に出ていたと思う。

 その中《うち》に私等一家はイヨイヨ貧窮して来て、お祖父様も花鳥風月を友とする事が出来なくなられたらしい。お祖母様と、モウ七歳になっていた私を連れて二日市に移住し、漢学の塾を開かれた一方に、母は亡弟|峻《たかし》を抱いて市内柳原に住み、相変らず足袋の底と、軍隊の襯衣《シャツ》に親しんだ。
 父は帰って来る都度に、先ず両親を訪い、次いで母と弟を省みた。

 二日市の橋元屋という旅館の裏に住んでいる時、突然に父が帰って来て、小さな錻力《ぶりき》のポンプを呉れた時の嬉しかった事は今でも忘れていない。そのポンプはかなり上等のものだったらしく、長いゴムのホースの尖端の筒先から迸《ほとばし》る水が、数間先の土塀を越えて、通行人を驚かした。父は手ずから金盥《かなだらい》に水を入れて二階の板縁に持出し、私と二人でポンプを突いて遊んでくれたが、その中《うち》に退屈したと見えて、私の顔に筒先を向けては大声で笑い興じた。父と二人でアンナに楽しく遊んだ事は前後に一度もない。

 その後《のち》、同じ二日市で榊屋《さかきや》の隠宅というのに引越した時に、父が私に羊羹《ようかん》を三キレ新聞紙に包んだのをドンゴ
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