を見るたんびに親を怨んでいるので御座いますよ」
と如何にも口惜《くや》しそうに云っていても、鼻ばかりは正直に、
「そう云っとかないと悪いからね」
という気持ちをうごめかしているのであります。
世間への義理や家内への示しのため、親類会議の真中へ一人息子を呼び出して、
「久離《きゅうり》切っての勘当」
を云い渡す親達の怒った眼と正反対に涙ぐましい鼻の表現――そこにすっかり現われている千万無量の胸のうちは、その座にいる人々をして道理至極とうなずかせずには措《お》きません。
「あの後家さんはいつも呑気そうに気さくな事ばかり云っては人を笑わしているけれど、流石《さすが》にどことなく淋しそうな顔をしているわね」
と界隈の噂に上るのは、その後家さんの鼻の表現が他人にうつるからであります。心の貞節や人知れぬ涙を決して人に見せまいとする悩みから湧くこの世の淋しさが、まざまざと鼻に現われて来るからであります。
情ない時、しくじった時、困った時、又はギャフンと参った時なぞは、その気持が特に著しく鼻にあらわれるものであります。
「ナアニ。何でもないよ。アハハハ」
と笑いながら、鼻はすっかりしょげている。
「人間到る所青山ありさ」
なぞ達観したような事を云いながら、鼻だけはゲッソリして白茶気ている。甚だしいのになると、何だか水洟《みずっぱな》でもシタタリ落ちそうで、今些しで泣き笑いにでもなろうかという、極度に悲観した心理状態を見せているものさえあります。
かようにして眼や口なぞが如何に努力をしても、その人間の本心から湧き出して来る感情が鼻の上に現われるのばかりは瞞着する事が出来ないように出来ているのであります。
同様に鼻はその本人の真底の意志を少しも偽らずに表明しているものであります。
意志がグラグラしている以上、鼻は如何なる場合でも決意の閃《ひらめ》きを見せませぬ。如何に威勢よく飛び出しても、心から行こうという気がなければ鼻は必ず進まぬ色をしているのであります。
惚れたお方を婿殿にと図星をさされた娘がテレ隠しに、
「妾《わたし》あんな人はいや」
と口では云いながら飛び立つ思いを見せた鼻の表現がある――一方に嫌な男の処へ行けという親の前に両手を突いて温柔《おとな》しく、
「私はどうでも」
という進まぬ鼻の表情……仮令《たとえ》それが悲し気に痛々しくなってやがてホロリと一雫《ひとしずく》しないまでも、ここを見損ねた親たちや仲人は、あったら娘を一生不幸の淵に沈淪《ちんりん》させる事になるのであります。
「オッと来《きた》り承知の助。さあさあ何でも持って来い。すっかり俺《わし》が片付けてやる」
といった程度の安請合いに対する誠意の有る無しは、その眼よりも口よりも真中でニヤニヤ笑っているところに最もよく現われていなければなりませぬ。
「何様《どなた》も御馳走様になりまして。お珍らしいものばかり。イヤ頂戴致します」
と云いながらちっとも頂戴する気にならない気もちは、細く波打つ眼とおちょぼ口との間にありありと見えすいているものであります。
男と死ぬ約束をして奉公先からそれとなく暇乞《いとまご》いに来た娘が帰るさに、
「身体《からだ》を大切にしておくれ」
と云われて、
「アイヨ」
と笑った眼つき口もと。その間に云い知れぬ悲しい決意を示す鼻の表現……それがそれとなく気にかかって、
「ああ。無分別な事でも仕出かしてくれなければよいが」
という物思い……。
その他「重々恐れ入りました」という奴の鼻が「今に見ろ」という気ぶりを見せ、「貴方はおえらいですよ」と賞める鼻が「賞めたい事はちっともない」と裏書きし、「妾《わたし》もうお芝居は見飽きちゃったのよ」と見栄を言いながら実は行きたい鼻の先のジレンマなぞ、数え立てると随分あります。
鼻の表現がその本人の意志を偽らないと同様に、その本人の性格を表現する場合でも決してその真相を誤らないのであります。
性格が愚鈍である以上、その鼻の尖端に才気の閃きは決して見る事が出来ないのであります。いくら謹み返っていても性得ガサツ者である限り、鼻は何となくソワソワしているものであります。
「もう私は今度でこりごりしました。ふっつり道楽を思い止《とど》まりました。ふだんの御恩がわかりました。何卒今度切りですから、助けると思って今一度お金を頂戴」
と両手を突いて涙をこぼしている息子の鼻が、昔の通りニューとしている。こんなのはテッペンから、
「糞でも喰らえ、この野郎。今度切りが何遍あるんだ。トットと出てうせろ」
とたたき出されます。
「何だ喧嘩だ。喧嘩なら持って来い。俺が相手になってやる。篦棒《べらぼう》めえ、誰だと思っていやがるんだ」
と大見得を切って立ち上っても、臆病者の鼻の表現は必ず魘《おび》えた色を見せております。
小田原評定の場合なぞ、真中へ出て理屈をこねまわしている鼻が案外無責任らしく見える一方に、隅っこで黙って聞いている鼻が却《かえ》って頼もし気に見える事なぞはよくあります。
こんな例は挙げたら限りも無い事でありますからこれ位で略します。
いずれにしても、鼻が如何に忠実に各種の表現の主役をつとめているものであるか。その補助機関が如何に誤魔化そうとしても鼻の表現ばかりは偽る事が出来ないものであるという事は、右に挙げました実例だけでも一通り説明し尽されている事と信じます。
極めて大掴みに考えて見ますと、鼻以外の表現はその人の上《うわ》っ面《つら》の表現だけを受け持っているもののようであります。偽ろうと思えば偽り得る範囲に限られていると見て大した過ちは無いようであります。
それ以外のものは全部鼻が受け持って表現していると考えてよろしいようで、しかも又この任務は断じて奪う事は出来ないのが原則と認めて差し支えありませぬ。手で撫でても、ハンケチで拭いても、又は別誂えの咳払いをしても、鼻の表現ばかりは掻き消す事も吹き払う事も出来ないのであります。
よく出鱈目や茶羅鉾《ちゃらっぽこ》を云って他人を瞞着しようとする時又は気がさしたり図星を刺されたり素《す》ッ破《ぱ》抜かれたりした場合なぞに、手が思わず鼻の処に行ったり又は何となくエヘンが出たりするのは、鼻の頭の表現が無意識に気にかかるからで、何とかして誤魔化さねばその事実を鼻に裏書きされるか又は反証を挙げられそうな気もちから起った反射運動に他ならないのであります。
表現の受け渡し
――鼻の動的表現(十)
▼鼻の表現は眼にも止まらず心にも残らぬ。
▼しかも不断にその人の真実の奥底まで表現してソックリそのまま相手に感銘させている。
▼そして鼻自身は知らん顔をしている。
▼その相手の感銘にこっちの鼻以外の表現で瞞《だま》したり乱したりする事が出来る。
▼しかし鼻の表現だけは偽る事も誤魔化す事も出来ない。
この事実の如何に一般に認められていないかという事は驚くべきものがあります。それは恰《あたか》も一般人士が常に自分の鼻に導かれて歩行しながら、些しも鼻の御厄介になった覚えはないと考えておられるのと同比例しはしまいかと考えられる位であります。
同時にこの偽り得る表現と偽り得ない表現とが如何に入れ交《まじ》り飛び違って日常の交際に活躍していることでしょうか。舌筆に尽されぬ位複雑多角形な人類生活の各種の場面に出合った人々の、形容も出来ぬ位込み入った各種の表現が、如何に巧みに、或いは如何にゴチャゴチャと刹那的に行われつつある事でしょうか。そうして如何なる反応と共鳴とを交換しつつある事でしょうか。
「こんな高価《たか》い帯地が買えるものかね」
と番頭さんには云いながら、「欲しいわねえ」という鼻の表現を御主人に振り向けられます。御主人はさり気なく葉巻の煙をさり気なく吹き上げながら、
「そうだなあ」
と鼻だけニッタリとさせて、「ネーアナタ」を期待しておられます。序《ついで》に「些し困るけどお前のためなら」という恩着せがましい表情を鼻の御隅《おんすみ》に添え付けておられる……といったような場面はちょいちょい拝見するようであります。この表現を見分けるか見分けぬかが又番頭さんの腕前の分かれるところで、この潮合に乗りかけて、
「その代り柄や色合はしっかり致しておりますから却《かえ》って御徳用でゲス。第一|見栄《みばえ》が他のものとは全く御覧の通り違いますから……近頃ではどなた様も消費経済とかいう思召《おぼしめし》で却ってこのようなのが、エヘヘヘヘヘ」
とか何とか思い切って踏ん込めば、最後の「ネーアナタ」と「止むを得ぬ」とを同時に占領する事が出来るのであります。
「あなたの御蔭で私は起死回生の思いを致しました。御鴻恩《ごこうおん》は死んでも忘却致しませぬ」
「どう致しまして。畢竟《ひっきょう》あなたの御運がいいので……何しろ結構で御座いました」
というような会話が如何にもまことしやかに取り換わされます。ところがお礼を云われた方では何だか物足りないような気がしている。
「あいつどうも本当に有難がっていないらしい。世話をして見ると案外軽薄な奴に見える。一寸一杯喰わされたかな」
という一種の不愉快と不安が湧いている。そのような場合はきっと相手の鼻が衷心からの感謝の意を表明していないためで、
「こう云っときゃあ喜ぶだろう。又頼む時にも都合がいいから」
位の有難さしか感じていないその熱誠の度合いがそっくりそのまま鼻の頭に顕《あら》われていて、その眼や口が表現している熱度よりも著しく低い度合を示しているからであります。
「お宅に伺いますとついのんびりして了《しま》うので御座いますよ。ほんとに気が置けなくて……それにまあいつも晴々した見晴らしで御座いますこと……オヤ坊ちゃんおとなしですこと……一寸|入《い》らっしゃい、抱《だ》っこしましょう」
と口では云いながら、内心実はつまらない。長居したくない。ほんの義理で来ているので、うちにはまだ用事がドッサリあるとノツソツしていると、眼や口はニコニコしながら鼻だけどことなくソワソワしております。
デリケートな相手になると直《すぐ》にこれに感じて、ちっとも落ち着かぬまますっかり落ち着いたふりをして、
「ホントニ御ゆっくり遊ばせな。お久し振りですから」
とか何とかバツを合わせながら障子の蔭で鼻の頭をイライラさせつつ、急いでゆっくりとお茶やお菓子を出します。
双方のびやかにお茶を嘗《なめ》てお菓子を嗅いで眼や口を細くして語り合いながら、お互いの鼻同志はとっくに気がさし合ってウンザリしている。いい加減シビレが切れたところで、
「アノ……では……又」
「アラまあお宜しいじゃ御座いませんか」
と立ち上って玄関へ出る。ここで初めてどちらもホッとした鼻の表現を見せ合いながら、イソイソと出て行かれる。一方はサッサと引込まれるといったような御経験は、特におつとめの些《すく》ない、率直を重んぜられる吾が日本の御婦人方にとってお珍らしいであろうと考えられます。
田舎から出てきた叔父さんが天下泰平の長逗留をする。これに閉口した若夫婦が、
「お国のお子さん方は淋しいでしょうね」
と親切そうに云う時の鼻の表現を見損ねた叔父さんは、
「有難う。そのうちに学校が済んだら三人共呼び寄せるかね」
と飛んでもない感謝を表明する事になります。その時に見合わせる若夫婦の鼻の表現……。
「死にたい、死にたい」
と云いながら死にたい気ぶりも見えぬ姑の鼻。どうぞそう願えますなら――と云いたい一パイのところを、
「アレ、又あんな事。後生ですからおっしゃらずに」
と打ち消す嫁の取りなし顔の鼻の表現。そこに起こる明暗|二《ふ》た道の鼻の表現の撫で合いとつつき合いは、あまり有りふれ過ぎております。
寧《むし》ろ姑の方でニヤニヤ笑いながら、
「私はノラ見たいな女が好きだよ」
というキルク抜式の鼻の表現――これに対するお嫁さんがまたエヘヘンと云う見得で、
「私は矢張り乃木大将の夫人式が本当と信じますわ」
と応《こた》える
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